ここが一番の分かれ道(ターニングポイント)

COLUMN(コラム)
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おはようございます。モウリです

本日は、ビジネスのお話というよりかは。
僕のターニングポイントについて解説していこうと思います。

  • ここで人生が変わった

そんな人生の分岐点についてお話しようと思います。
あなたも振り返った時に、ここが人生の分岐点だったな。
そう思える瞬間があるはず。

僕の分岐点はポジティブな話ではないんです。
ではどのようなストーリーだったのか?
一緒に見て頂ければ幸いです。

僕の人生のターニングポイント

結論:高校受験失敗の挫折
あなたは、高校受験はどうしたか?
自分の志望する高校へ入ることができましたか?
実は僕は自分の志望する高校へ入ることが出来ませんでした。
そして何とかギリギリ入る事が出来た、私立への入学が人生の分かれ道だったと思います。
その前に、中学時代の話をしようと思います。
  1. 中学時代
  2. 高校受験
  3. 高校生活

この順番で人生の分岐点を探っていきます。

中学時代はやんちゃ

結論:全く勉強をしない不良
中学時代は、何をしていたのか?
振り返ると、「サッカー」と「夜遊び」位しかしていないんじゃないかな?と思いました(笑)
僕の住む地域はいわゆる田舎の団地。
車が無ければ生活できない場所なのですが。
山の中で自然豊か。
歩いていると、猿やタヌキなどはしょっちゅう見ました。

授業中に学校のグランドにイノシシが出没したこともあったな(笑)

それ位の田舎ですね。
ただ「新興住宅地」で、年々家が立ち並び人口も多かった印象です。
僕の中学時代は、1クラス40人くらいで8クラスはあったと思います。

その学校はサッカー強豪校の1つ。
僕の1つ上の先輩方は、中国・四国地方大会で惜しくも2位。
全国大会へは行けませんでしたが、中国・四国地方では名前を知らない位サッカーの強豪校です。
僕もサッカー部へ入部して、朝練習・放課後の練習を毎日やっていましたね。
学校がない日は、友達と公園でサッカーの練習試合。
近所の友達と、家の前でサッカーをしまくる。
いわゆるサッカー少年でした。
もちろん勉強は一切しておりません(笑)。
ちなみ広島県と聞くとどのようなイメージでしょうか?
「仁義なき戦い」などの映画の影響でしょうか?
「ヤンキー・ヤクザ」が多いイメージがある人も多いのでしょうか?
もちろんというべきでしょうか?
僕の体感でもヤンキー・ヤクザは多い印象です。
というのも、中学時代の仲良い友達グループは。
いわゆる不良グループ。
夜遊びばかりしており、その中のリーダー格的な人の兄は。
暴走族の総長で、広島県内の広い主要地域を抑えていた。
その界隈では顔の広い人物です。
やんちゃをしていると他のヤンキーに絡まれる事もしょっちゅうでしたが。
「◯◯の弟」と言う名前を出せば。
「◯◯さんの弟か、あんま調子に乗るなよ」とさって行く場面も多かった印象です。
その位、リーダー格の兄の影響力は凄かったですね。
ただそのやんちゃ過ぎて、良く教師に呼び出しをくらい。
自分の親と一緒に三者面談で説教などを多々頂きました。
青春時代というのは、何か反骨精神の塊というか。
説教されても、「ウルセェ〜よ」みたいな(笑)
悪ガキで、あまり人の言う事を聞かない。
いわゆるダメンズでしたね。
ただそんな生活は、中学2年生までは良いんです。
中学3年生になると、いよいよ進路の選択に差し掛かります。
当時の僕は前述でもお話した通り、「サッカー」か「夜遊び」しかしておらず。
まともに勉強などもしておりませんでした。
ある日担任の教師と進路相談について、面談した日の事です。
「モウリ君のいまの成績では行ける高校がないんだよね」
と言われた時の事はいまでも忘れません。

いやどんなけ頭悪いねん(笑)

流石に親も心配しており。
「あんた本当にどうするの?このままだとどこも行けないよ」
「あの不良グループとつるむのもうやめなさい」
と言われましたね。
ただ、青春時代の反骨精神がまだ残って言うますから。
「ウルセェ〜よ」の一言ですよね(笑)。

ある日のことです。
今日も不良グループに呼び出しがあり。
夜遊びするべくこっそり、家を出た時の事です。
夜の23時くらいですかね?
親は先に寝ているはずでしたが。
母親が泣きながら、外に出て。
「あんた本当にもうやめなさい」
「もうあの不良グループと絡むのやめなさい」
「このままだと本当に終わるよ」
泣いている母親を見て初めて我に返りました。
「俺は親を悲しませている」
「このままではほんまにダメや」
「生まれ変わろう」と。
完全に親不孝者と思いました。
そっからは本当に変わりましたね。
不良グループから呼び出しが来ても無視。
直接会って今日は顔出せよと言われても無視。

この時期は本当に葛藤と苦悩でした。

なぜかって?
あなたも聞いた事ありませんか?
ヤクザや暴走族とかって、入るのは簡単でも出るのは難しいって。
ワンピースでいうと、ビックマム海賊団を出たジンベエみたいな感じですね。


画像出典:https://d-manga.net/

ジンベエの場合は、ビックマムに寿命を差し出す代わりに抜けるみたいな形でしたが。
その位の覚悟がなければ、不良グループを抜ける事は出来ません。

これどっちか忘れたんですが。
ある日の事。
家に帰ったら。
母親に
「買いたい物あるから手伝ってくんない?」
「もう◯◯予約してるから一緒に行こう」
的な形で、手伝う形で親と一緒に車を乗ったら。
なぜか停車したのが、「塾」の駐車場。
「もう面談の予約してんねん。行くで。」
と言われました。
完全に騙されたわけですよ。
多分騙さないと塾とか行かないって思ったんでしょうね(笑)
しかしその塾では、「君の成績ではウチの塾に入る事は出来ない」って断られましたね。
イメージとしては、エリートしか受け入れない。
いわゆる人を選んで採用している印象でした。
僕の姉がそこの塾に行っていたのもあって連れて来たんだと思います。
次にすぐ別の塾の面談に行きました。
そこの塾は、誰でもウェルカムな塾。
ただ一つ問題なのが、教師が鬼のように怖い。
まさに体育会系の先生が集まった塾。
普通に手は出すし、暴言は吐く。
嫌々ながらも心の中では担任の
「モウリ君のいまの成績では行ける高校がないんだよね」
と言う言葉が脳裏に。
流石に高校は行かないとまずい。
地元には2つしか塾はなく。
初めのエリート塾には入塾を断られましたから。
仕方ない腹をくくって、その怖い塾に入る決心をします。
塾長との最初の面談で
「この1年死ぬ程頑張れば偏差値42の宮島工業高校、もしくは偏差値47の廿日市西高校へはギリギリで入れると思う」
と言われました。

どんなけ頭悪いねん(笑)ですよね

ただ僕はこの時に「偏差値58の廿日市高校を目指します!」って言いました。
それは単純に自分の姉が入っており、キャピキャピした生活を送っているのを目の前で見ていたから。

まぁでも塾長からは
「今のままでは到底無理だよ」「いけると思っているの?」
とめちゃくちゃ心配されました。
サッカー部には在籍しており、部活動は中学3年生の部活引退までしっかりとやり遂げました。
その日から、家と塾の往復しかしない毎日を送ります。
その塾は、レベル別にA,B,Cランクとクラスが分かれており。
僕は当然Cランクのクラスからスタート。
本当に勉強をしてなかったため、Cランクの中でも成績は下位でしたね(笑)
ただ偏差値58の廿日市高校へ入学するって決めましたから。
もう勉強するしかありません。
この頃にはすでに不良グループからの誘いもなくなり。
絡む事もなくなりました。
本当に家と学校と塾の往復しかしておらず。
塾の授業終わりは、塾内で居残り勉強。
わからない箇所は先生に聞いく。
家に着くのは、0時。
学校は1時限目〜6時限目まであります。
1時限目の前には、朝礼や全校生徒集まってのホームルームとかあった記憶があります。
ですから、6時起きだったのかな?

アグレッシブですね。体力がありましたね

そのお陰でもあってか、6ヶ月目くらいには。
CグループからBグループへ移行する位成績が上がりました。
Cグループは、もう本当に優しく丁寧に解説してくれるのですが。
Bグループになると、一気にレベルが上がります。
こんな箇所わかっているよね?感覚で授業が進みます。

ちなみにAグループは、進学校へ入学するレベルの人たちが授業を受けます。
Aグループに関しては、授業内容はもはや理解できず。
話している人は、ぶっとんでいるのか?と思う会話です。
もちろん僕は、Aグループに入る事はありませんでした。

ちなみにこの時に気づいた事が。
根っからの理数系の頭だって事です。

文系の科目、特に国語に関しては意味がわからずに。
楽しさが見出せませんでした。
長文問題もしっかり読んで回答しても外れ。
全くといって良いほど、勉強をしませんでした。

その代わり、数学がめちゃくちゃ好きになりました。
楽しすぎて、ゲームモードになっていましたね。
数学だけずば抜けてて、期末テストでは90点代を出す事も珍しくありませんでした。
国語に関しては、20〜40点代でした(汗)。

国語の面白さを教えてくれる大人が1人もいなかったんですよね。
何が面白いのか?なぜ国語をするべきなのか?
全く理解できませんでした。

あと探究心が強いのか?
気になる事や面白い事はずっと調べたり・やったりする子どもでした。
今でもそうかもしれませんね(笑)。

歴史の授業も、昔の偉人がこれまで築いてきた偉業などを知るとワクワクしていました。
社会の授業では、歴史がずば抜けて成績がよかったですね。
特に安土桃山時代のあの白熱した時代などはずっと教科書を読んでいましたね。

ですから僕の場合は、嫌いな科目に関しては全く手をつけず。
好きな科目をとことん伸ばす方向で勉強していきました。
特に理系科目、数学・社会・理科は成績がよく。
文系科目、国語・英語は成績が悪かったですね。
僕の考えとしては、好きな科目を苦手な科目で補えば。
全体的には、平均点くらいに行くと考えていました。

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高校受験の失敗

結論:やむなく滑り止めの高校へ入学

一般入試は3月にあります。
僕が入塾したのが、確か5月か6月だった気がします。
つまり、偏差値42以下(多分20くらい)が10ヶ月で偏差値57まであげないといけませんでしたからね。
本当に猛勉強ですよ。

滑り止めとして、私立の偏差値47の広島工業大学高等学校へも受験しましたね。
ここの滑り止めには合格しました。
ただこの高校、現在は男女共学ですが。
僕の時代には男子校。
しかも不良高校です(笑)。

その当時は、誰でもウェルカムな感じで。
おそらく入試テストはしていましたが、ほぼ全員を合格していたんじゃないかな?
と思う程受験した全ての人が合格しています。

本番は、廿日市高校ですよ!
公立の廿日市高校に入学してキャピキャピした生活を送るんだ!
と思って臨んだ受験。

それまで毎日必死に勉強に励んだ。
しかし,,,,不合格でした。

その時は一人で部屋で泣いたのを覚えています。
「なんでなん!」ってね。
塾長が面談で言った通り、「偏差値42の宮島工業高校、もしくは偏差値47の廿日市西高校」へ入試していれば入れていたかもしれません。
高みを目指した結果、公立の廿日市高校は断念。
滑り止めで合格した、広島工業大学高校へ入学します。

ここが一番の僕のターニングポイントでした。
なぜかって?

前述でもお話ししましたが、広島工業大学高校は男子校の不良学校。
まず男子校と言うだけで、青春時代が終わるのと同時に。
広島市では1位か2位位の不良学校。
他校の学生からは、広島工業大学高校の生徒とは関わらないように。
と警告を告げられる感じです(笑)。

かたや公立の廿日市高校は共学で凄く品が良いイメージの高校です。
廿日市高校の卒業生は、名の知れた大学を進学したのち。
僕の知る限りでは、大手企業へ就職する人が多い印象です。
構内のイメージも良いですから、廿日市高校の学生も性格が優しめの人が多い印象です。

僕はこの滑り止めで合格した広島工業高校への入学を気にさらに悪ガキへと落ちて行きます。

高校生活

結論:更に悪ガキへになる

さて、広島工業大学高校の入学式です。
当時の生徒数は多く、1クラス40人位で10クラスありました。
そして、不良高校と呼ばれている理由がわかります。

入学式早々、マウント合戦ですよ。
このクラスのボスは俺だ!的なね。
髪の毛赤で来る人も居たし、バイクでブイブイ言わせながら登校する人も居ましたね(笑)
全校生徒の集会でちゃんと校長先生の講義を聴く生徒なんて一人もいません。

そしてなんと広島工業大学高校へ入学したメンバーの中には。
中学時代の不良グループがそのままスライドして入学して居ました。
全く同じメンバーです(笑)
高校でも絡むようになります。
それぞれ綺麗にクラスが分かれました。
僕は6組でした。
そしてそれぞれのクラスでボスがいました。
僕は6組のボス的な役割だったと思います。

ボスの雰囲気や性格によってクラスの雰囲気が変わります。
僕自身は、喧嘩とか一切せずクラスの人達とワイワイやるのが好きでしたから。
クラスの雰囲気は比較的良かったと思います。
6組にはサッカー好きが結構おり、休憩時間にサッカーして遊ぶなんてのを良くしていましたね。

他のクラスでは、喧嘩だったりカツアゲとか。
不良漫画に良くあるシーンが多々発生していました。


画像出典:東京卍リベンジャーズ

なぜ?他のクラスから6組があまり狙われずに、仲の良いクラスが作れたのかと言うと。
中学時代の仲の良い不良グループが別々のクラスに分かれて。
そしてそれぞれのクラスでボスみたいな存在になっていたからです。
僕はそのボス達と絡んでいたから、あのグループに関わると危ないと周囲で思われていたんでしょうね。
僕自身は特に悪さはしていなかったのですが、絡んでいた他のメンバーが悪さをしていたんですよね。

 

これ入学式から6ヶ月目か高校2年生くらいになると。
徐々にヤンキーや不良メンバーが学校からいなくなるんですよ(笑)。
警察に捕まったり、退学処分させられたり。来なくなったりですね。
実は僕も退学処分の一歩手前までいった事があります。

1年生の時に、仲の良かった2人。
なるちゃんと溝ちゃんと毎日遊んでいました。
本当に仲の良く、毎日遊んでいても飽きませんでしたね。
そしてある日のことです。

学校の屋上ってあまり行った事ありませんよね?
良くドラマとかで学校の屋上で青春をするシーンが良くありますが。


画像出典:野ブタ。をプロデュース

小中高校と屋上のある学校へ入学した事がありませんでした。
ドラマで良くある、屋上でのシーンに憧れがあり。
屋上に行きたいとなった放課後。
ある小学校に屋上があると言う事を聞きつけ。
夕方の学校が閉まっているのを確認して侵入。

良い子は真似しないでね

そこで、「何をやっているんだ!」
と見回りをしていた先生に見つかり。
捕まってしまいました。

不法侵入の容疑で警察に通報されそうになりましたが。
警察は間逃れ、その代わり学校に通報。
翌日、担任の先生や教頭先生。
また親も連れて三者面談もあり。
停学処分で何日間か学校へ行けない期間がありました。

その時は、全員正座で担任にめちゃくちゃ殴られ説教させられましたね。
そして坊主にして来いって言うので。
なるちゃんと溝ちゃんは坊主にしてきたのですが。
僕は絶対に坊主にしたくなかったので、ベリーショートで行ったのを覚えています。
ベリーショートでも許してくれた担任の先生には感謝ですね(笑)。

この一件は、今となってはいい思い出です。
この2人とは、事件後さらに絆が深まりました。
そして停学処分は学校中に広まり。
「6組のモウリはヤバイぞ!なんかヤバイ事やったんだ!」
と噂になり、6組に手を出す他のクラス(カツアゲや喧嘩、盗難)は減りましたね(笑)。

てか高校生の時は、本当に悪ガキと言うか。
事件ばかり起こしていて、しょっちゅう怒られていましたね(笑)。
ここから、どうやって落ち着いたのかと言うと。
音楽との出会いです。
ギターを始めてから、徐々に落ち着いてきます。

音楽との出会いは、また別でお伝えしますね。

そんな不良高校へ進学したもんですから。
当然勉強はしっかりしておらず。
高校時代も、進路相談の際に担任から「今の成績だと入れる大学がない」と告げられます(笑)

高校でも中学時代のデジャブを行なっていましたね

そこからまた親に騙されて、林修先生などが在籍する予備校へ連れて行かれるんですね。
また高校受験から大学については別記事でお話ししていこうと思います。

要するに

結論:人生の選択肢を広げて欲しい

僕が思うターニングポイントは、高校受験の失敗と言いました。
あの時に、公立高校の廿日市高校。もしくはランクを一つ下げた廿日市西高校へ入学ができていれば。
今日まで苦労しせず、周りの方と同じような。

いわゆる青春時代を送り、大学へ進学。
なの知れた企業へと就職し。
今頃は、結婚して子供が居てもおかしくない人生だったのかもしれない。

今日まであなたが想像する逆の人生をずっと歩んで居ます。
現に今も結婚はしておらず、企業に就職せず独立と言う道を歩んでいます。
まぁ今更どうこう言っても仕方ありませんが。
僕はこの記事を通してお伝えしたかったのは。

未来を見据えて、しっかりと勉学に励んで欲しいと言う事です。
特にこれからの受験生には強く言いたいですね。
僕は、不良学校へ入学を機に更に悪ガキへと落ちて行きましたが。
未来の冒険者にはそうなって欲しくないです。

だがここ最近では、ネットと組み合わせた通信制高校も普及してきました。
その代表格が、「N高等学校とS高等学校」。
もし僕みたいに、不良学校へ行きそうになった人は。
このN高等学校に行く方がよっぽど良いと思う。

面白いしカリキュラムも良い。
僕が学生時代にあったらなとつくづく思う。

僕みたいに道を踏み間違えた人も、一人も取り残さないとする高校です。
もしこれを読んであなたが踏み間違えそうになったら、転校しても良いと思う。
その際は、自身の親と良く相談して決めていこう。

まとめ

本日は以下について開設しました

  • 人生のターニングポイント→高校受験の失敗
  • 中学時代→サッカーと夜遊びで勉強を一切しない悪ガキ
  • 高校受験機→家と塾と学校の往復、勉強漬けの毎日
  • 高校時代→広島市で1位2位の不良学校。ヤンキー漫画で良くあるシーンがあった

昨今では、ネットと通信教育によって、更に良いカリュキュラムを受けられるようになりましたね。
僕みたいに青春時代を調子乗っていると、後から痛い目を見ます。

義務教育期間でも良いので、しっかりと知識を身についておく。
また未来を見据えて逆算した勉強を行うと。
そうそう踏み間違えることがありません。

人生の選択肢を増やすための勉強を行なってください。

僕は頭が悪かったので、選択肢は狭まって行きました。
だが勉強をすると言う事は、偏差値の高い高校、低い高校、県外の進学校、はたまた海外の学校。
選択できるチャンスは広がります。
あなたはその選択のチャンスを広げる事を可能性を広げるために勉強を行なってください♩

 

本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
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