これだけは最低限知っておけ!落語のイロハ〜歴史から仕組みまで〜

COLUMN(コラム)
画像出典:http://www.beicho.co.jp/
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おはようございます。モウリです。

以前このようなツイートをしました。

本日は、このツイートでご紹介した本書「ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語- 立川談慶 (著) 」を題材にもう少し深掘って行こうと思います。

「落語」って言葉は聞いたことあったけど

あんまりわからない

本書では

  • 大物政治家や経営者が聞いていた「人の心を掴む術」を身につけるツールとしての落語
  • ビジネスエリートにとって共通言語である「日本文化・価値観」を知るツールとしての落語
  • 「人間の変わらない本質」を教えてくれる落語

そんな教養としての落語を、今まで一度も落語に触れたことのない人にも理解できるように解説しています。

最低限知っておきたい知識はもちろんのこと、落語の歴史から、知っておくと一目置かれる話。
さらに、そのほかの伝統芸能の知識を、落語と比べながらわかりやすく説明しています。

本日はそんな本書の中から、基礎知識と長年疑問に思っていた事を解説して行きます。
今回は特に第1章である「これだけは知っておけば毎違いない落語の「いろは」」を中心にお話しします。
落語をあまり知らない方にとっては”なるほど”と思える内容が満載ですよ♩

ぜひ最後までご覧頂ければと思います。

落語の原点は仏教の聖書的存在だった?

落語の起源は、江戸時代初期の1623年、徳川家光が第三代将軍に任命された年に作られた『醒睡笑(せいすいしょう)』という「笑い話」を集めた作品集だといわれています。

この作品に収載されている話は最後に“オチ”がついており、現在でも演じられている古典落語のいくつかの噺(はなし)の元になっています。
作者の安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)は「落語の祖」といわれています。

この安楽庵策伝という人物は、浄土宗の僧侶で、茶道にも精通した教養人でした。
彼は豊かな教養をベースに、仏教の教えを滑稽にわかりやすく庶民に伝える「説教僧(せっきょうそう)」として活躍します。

『醒睡笑』は彼が仏教を広めるべく考えた「説教の題材ネタ」が詰まった作品で、いわば 「仏教の聖書的存在」です。
落語というと、「お笑い」のイメージが強いかもしれませんが、落語の元になった『醒睡笑」は、実は仏教がルーツだったのです。

江戸時代前期に京都で活躍した落語家・露の五郎兵衛が書いた『軽口露がはなし(かるくちつゆ)』 (1691年成立)では、全88話のうち28話が『醒睡笑』に由来しています。
このように『醒睡笑』は落語に大きく影響を与え、その影響は、現代でも上演される古典落語にまで及びます。
たとえば「子ほめ」や「たらちね」などは大変人気のある演目ですが、その元ネタは『醒睡笑』だとわかっています。
特に「子ほめ」は頻繁に上演され、初心者でもわかりやすいネタであるため、教養として最低限知っておきたい古典落語といえるでしょう。
あらすじを紹介します。

子ほめ
ある日のこと。 ぼんやりしたところのある熊公(くまこう)が、ご隠居から”お世辞”についての入れ知恵をしてもらいます。
「45歳の人を見たら「42歳」とほめればいい。そうやっておだてれば、飯をおごってもらえることもある。とにかく年齢を若めに言えばいいんだ」
熊公はさっそく友人の家に行き、赤ん坊をほめます。
「赤さんの年齢は、おいくつで?」
「生まれたばかりだから一つだ」
「それは、お若く見える。どう見ても半分だ」

「子ほめ」とは、「若く見えると言われれば誰でもうれしい」という、人の心理をついた話です。

落語というのは、決して古臭い話ではなく、仏教になじみのない多くの衆民にも興味を持ってもらうために策伝が知恵を絞って考えた「笑い話」なのです。
そして、現代にも通ずる普遍的なテーマを取り扱っているからこそ、伝統文化でありながら、現在も絶大な人気を誇っているのです。
策伝がもし現代に生きていたら、流行作家、もしくはテレビやラジオの構成作家として大活躍をしていたかもしれません。

最初の落語家は豊臣秀吉に仕えた『曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)』


画像出典:曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)

古典落語の元となった「醒睡笑』の作者は「落語の祖」と呼ばれています。
では、「最初の落語家」は誰だったのでしょうか。
「元祖落語家」は、天下統一を果たした、あの豊臣秀吉に仕えた一人の男性だったと言い伝えられています。

その男性の名は、「曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)」。
曽呂利は刀の鞘(さや)を作る腕利きの職人で、彼の作った鞘に刀を差し入れると「そろり」とよく入ったことから「曽呂利」と呼ばれるようになったそうです。
彼は鞘づくりだけでな く、コミュニケーション能力にも秀でていて、秀吉の「御伽衆(おとぎしゅう)(相談や雑談の相手役)」も務めていました。
つまり、とっても話し上手で、とんちの才能があり、秀吉に気に入られていたのです。

曽呂利は「架空の人物」ではないかという説もありますが、彼にまつわるエピソードは数多く存在します。
中でも有名なのは、「枯れた松を見て、うなだれていた秀吉を励ましたエピソード」でしょう。

秀吉が病気にかかり、日に日に衰弱していたときのことです。
大切にしていた盆栽の松の木まで、なぜだか枯れてしまい、秀吉は一層気落ちし、 さらに体調を崩していきました。
側近たちが「いい医者はいないか」と探し回っているうちに、御伽衆である曽呂利が話し相手を務めることになりました。
事情を聞かされた曽呂利は、秀吉の前で歌を詠みます。
「御秘蔵 常盤の松は枯れにけり 千代の齢(よわい)を君にゆずりて」 (※「秀吉様が大切にされている松は、その千年の寿命をご主人に譲り、身代わりになって命を終えた」という意味)
すると、秀吉は大変喜びました。
「ああそうか、松が枯れてしまったのは、俺の身代わりになってくれたからなのか、なるほど・・・・・・」 「病は気から」ということわざもあります。
それから、秀吉の体調はみるみるう ちに快復し、曽呂利は褒美を与えられることになりました。

このエピソードのように、落語には「人をほめて気持ちよくさせる」話がよく登場します。
落語をきいている人が「気のきいた返しをとっさに言える」のは、これらの話が身に染みついているからでしょう。

落語家はネタバレしている噺を何回もして、 なぜ生きていけるのか


画像出典:立川談志

多くの落語家たちがカバーする対象、「古典落語」の噺の数は約300あると言われております。

もちろん、マイナーな噺から上演回数の多い有名な噺まで、人気の差はあります。
それら全てをかきあつめても、「わずか300しかない」という見方ができるでしょう。

なぜなら、それらをカバーする落語家たちの数は、1000人近くもいるからです。
「現役の落語家1000人が、その3分の1以下の数である300の噺をカバーして活動している」そう聞くと、落語という世界の特殊性が、おわかりいただけるのではないでしょうか。

作家の故中島らもさんも、生前に次のような指摘をされています。
「落語家が東西合わせて数百人しかいない状態で、その落語家の数より少ない落語を 語って商売になっていること自体が不思議でならないですよ」

彼は「古典落語に負けないような新しい落語を作る」と宣言し、有言実行。
実際に並はずれた才能と教養を頼みにして、小説家でありながら、優れた新作落語を何作も残したのです。

たとえば、ポップスや演歌などの歌謡曲のジャンルで、このような状況は起こりえません。
多くの歌手は、自分独自のオリジナル曲で勝負に出ようとします。
「他人の曲をカバーして勝負しよう」という歌手はすでにベテランで余裕があるか、ごく少数派であるはずです。

言い換えると、古典落語の噺は、いずれも完成度が高く、普遍性があり「時代を超えても受け入れられる力をもっている」ということです。

歌謡曲の世界でも「多くの歌手がカバーしたくなる”名曲”」は存在します。
古典落語の場合、ほぼ全ての噺のクオリティーが、そのくらい高水準なのだと考えてみてください。
このような構図こそ、落語が”スタンダードな芸能”である証拠だと言える でしょう。
つまり古典落語を演じる落語家とは、すでに完成した「噺」という「型」を自分流にアレンジして現代に再現させる「職人」なのです。

「上方落語」と「江戸落語」は 何が違うのか


画像出典:上方落語協会

また、落語には「上方落語」と「江戸落語」の2種類があります。
教養として、「上方落語」と「江戸落語」の違いを知っているだけで、より深く落語を楽しみ、語ることができるので、ここでは「上方落語」と「江戸落語」の違いを簡単にご紹介します。

まず最大の違いは、「発祥した場所」です。 「上方落語」とは、「上方」、つまり商人の町として繁栄していた大阪や京都などで生まれた落語を指します。
江戸時代まで天皇は京都に住んでいましたので、そのため京都を中心とする関西を「上方」と呼んでいました。 もともと関西地方で行われる落語は、「大阪落語」「京都落語」などと称されてきましたが、1932年に発行された『上方』という雑誌で初めて「上方落語」という語が使われ、 それ以降、その呼び名が定着しています。

「上方落語」は今でいう大道芸のように、 野外で演じられることが多かったため、通行人の歩みを止めてきかせる必要がありました。
そのため、三味線や太鼓などの楽器演奏を取り入れるなど、派手でにぎやかな演出が特徴です。

「上方落語」に対して、「江戸落語」とは、文字通り江戸でできた落語をいいます。
江戸といえば、幕府のお膝元ですから、100万人程度の人口の半分ぐらいが侍でした。
「江戸落語」は彼らの間で「お座敷芸」として発展を遂げていきます。

高座で使用する道具にも、違いがあります。
実は「上方落語」だけでしか使われない小道具、というのがあるのです。

「見台(けんだい )」という落語家の前に置く小さな机(布団や湯船を表現する) や音が鳴る道具「小拍子」 (効果音を自分で出す)、落語家のひざを隠すついたて 「膝隠し」などです。

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「立川」「林家」 「桂」は 名字ではない?


画像出典:初代林家三平

筆者の名前は「立川談慶(たてかわだんけい )」ですが、「立川」は名字ではありません。
落語の世界では「立川」「林家」「桂」などの名前の名字にあたる部分は、「亭号(ていごう)」や「屋号」 という呼び方をします。

落語家の名前は、弟子入りした師匠の亭号をそのままもらい、下の名前は師匠につけてもらいます。
筆者は立川談志に弟子入りしたので、談志に「談慶」という名前をつけてもらい「立川談慶」と名乗っているというわけです。

落語家の有名な屋号は他に「古今亭」「春風亭」「柳家」「三遊亭」「月亭」などがあります。
テレビで活躍されている笑福亭鶴瓶師匠の「笑福亭」も落語家の屋号の一つです。

また、歌舞伎役者の名前では「市川」 「尾上」「片岡」 「中村」「松本」などが有名ですが、 これらは屋号ではありません。
歌舞伎役者は名前のほかに「成田屋」 「音羽屋(おとわや)」などの屋号があります。
たとえば、市川海老蔵さんの屋号は「成田屋」、尾上菊之助さんは「音羽屋」、 松本幸四郎さんは「高麗屋」というぐあいに。

落語の基本構成は 「枕」「本題」「オチ」


画像出典:柳家小三治師匠

時代を超えて受け入れられてきた落語の噺は「枕」「本題」 「オチ」で構成されています。
まず「枕」でお客さんの緊張を解いて、「本題」である「噺」をじっくり聞かせ、物語の結末である「オチ」で感動させたり、笑わせたりする。
落語とは、このような一連の「型」で成り立っているのです。

まず「枕」から見ていきましょう。
「枕」とはそもそも、噺の導入部分、つまり噺の「頭」に置くことから命名されたといわれています。

和歌にも「枕詞」という技法があり、特定 の言葉を修飾したり、歌全体の調子を整えたりします。
落語における「枕」も、それと似ています。

落語家は、高座に上がると、お客さんに感謝を伝えます。
それから自己紹介や近況を面白おかしく話したり、時事ネタと「本題」の テーマを絡めて話したり、「本題」に向けて、 トークをうまくつなげていきます。
古典落語 の場合は、「枕」で江戸の風習について簡単にレクチャーすることもあります。
これが「枕」 です。

「枕」のわかりやすい落語といえば、名作 「時そば」でしょう。
「時そば」では、江戸時代の時刻について「枕」の部分で説明してから、「本題」に入ることが珍しくありません。
なぜなら、江戸時代 の時刻の数え方は独特で、それを理解していないと、オチでピンとこない恐れがあるからです。
たとえば昔は、夜10時頃を「(夜の)四つ」、深夜0時頃を「(暁の) 九つ」と呼んでいました。

このように基本的な知識をわかりやすく伝えてから本題に入るので、江戸の言葉や風習に慣れていないお客さんでも落語を楽しむことができるのです。

落語家の出世階級、 「前座」「二ツ目」「真打ち」


画像出典:https://rakugotei.com/

教養として落語を理解するために知っておいてほしいことは、落語家の「出世階級」です。

落語家が師匠に弟子入りし、「一人前の落語家」と呼ばれるまでに、通常は十数年間もの歳月が必要です。
サラリーマンの世界も同じかもしれませんが、落語界には確固とした「階級制度」があり、誰もがそのコースから逃れることはできないのです。

ただしカンのいい人の場合、速いペースで出世していくこともあります。
平たく言うと、落語家はまるで出世魚のように名前(身分) を変えながら、進化していきます。

その形態は、次の四つに大きく分類できます。
「前座見習い」「前座」「二ツ目」「真打ち」 です。
このうち、最初の「前座見習い」を省略した3つを「江戸落語の三階級」と呼ぶこともあります。
それぞれの身分を端的に説明してみましょう。

「前座見習い」とは、その名の通り〝見習い”の身分のことです。
落語家になるための基礎を学びつつも、師匠や兄弟子などのお世話をすることが大きな仕事です。
とはいえ「寄席の楽屋には、まだ入れない」というルールがあります。
「前座見習い」から「前座」になる まで1年ほどかかります。

「前座」は、寄席で最初に高座(落語家が演じるステージのこと)に上がる身分のことで、初めてお客さんの前で落語を演じられるようになります。楽屋に入れるようになるのも大きな特徴です。
「前座見習い」的な仕事に加えて、師匠や兄弟子などのアシスタント的な役割を果たします。
「前座」から「二ッ目」になるまで2~5年間かかります。

「二ッ目」は寄席の番組で、2番目に高座へ上がる身分のこと。
自分自身の落語会を開けるようにもなり、活動範囲がより広くなります。
「二ツ目」から「真打ち」になるまでは 約5~10年間かかります。

「真打ち」は「落語家として一人前」という身分のことで、落語界の階級の最終ゴールです。
寄席では、トリ(最後に出演するという大事な役目)を務めたり、弟子をとったりすることもできます。
「師匠」と呼ばれる人たちはみな、「真打ち」です。
通常、「真打ち」になるまで には、「前座見習い」から平均で15年前後の歳月を要します

まとめ

本日は以下について解説しました。

  • 落語の原点は仏教の聖書的存在だった?→安楽庵策伝が仏教を広めるために作った「醒睡笑」が落語の始まり
  • 最初の落語家は豊臣秀吉に仕えた『曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)』→豊臣秀吉の「御伽衆」。話し上手で、とんちの才能があり、秀吉に気に入られていた
  • 落語家はネタバレしている噺を何回もして、 なぜ生きていけるのか→すでに完成した「噺」という「型」を自分流にアレンジして現代に再現させる「職人」
  • 「上方落語」と「江戸落語」は 何が違うのか→最大の違いは、「発祥した場所」。 「上方落語」は、関西。「江戸落語」は、東京。
  • 「立川」「林家」 「桂」は 名字ではない?→「亭号(ていごう)」や「屋号」 という呼び方をします
  • 落語の基本構成は 「枕」「本題」「オチ」→落語とは、このような一連の「型」で成り立っている
  • 落語家の出世階級、 「前座」「二ツ目」「真打ち」→「前座見習い」「前座」「二ツ目」「真打ち」で、最初の「前座見習い」を省略した3つを「江戸落語の三階級」と呼ぶ

以下かでしたか?
落語をあまり知らない人でも、”なるほど”と思える内容が多かったのではないでしょうか?
今回ご紹介した内容は本書の中のほんの一部に過ぎません。

本書では、落語の知識以外にも落語に関連する日本の伝統文化も学べるようになっています。
また落語会のレジェンドに話や、ビジネスマンが知っておくと一目おかれる落語まで。
幅広いです。

もちろん、今回紹介したのはあくまで表面的なお話。
初心者でも入りやすい導入部分というのでしょうか?
『上方落語』も一度はなくなりかけたお話や。
『落語界』のお話まで幅広く解説されております。

気になる方はぜひ本書を手にとって見てはいかがでしょうか?

 

本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。

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