おはようございます。モウリです
先日奈良県にあります薬師寺を訪れました。
幻想的な世界で、時の流れがゆっくりと感じましたね。
そこで今回は、「人生で一度は行くべき薬師寺」と題しまして。
薬師寺について
画像出典:https://nara.jr-central.co.jp/
奈良時代中期にあたる白鳳時代に創建されました。
天武天皇が病に臥せった皇后の鵜野讃良(うののさらら、後の持統天皇)の平癒を祈願して発願。
薬師寺は夫婦の愛が築いたお寺なんです。
薬師寺も藤原京に建設されておりました。
ここから奈良時代へと移行するのですが。
遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。
当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
整備にあたっては、興福寺などと同様「造薬師寺司」と呼ばれる建設を推進する役割を果たす「朝廷の出先機関」が設けられ、国家による一大事業として薬師寺の建設は進められていく事になりました。(ちなみに、この奈良の薬師寺は、藤原京の本薬師寺の境内(伽藍)の形を再現する形で整備されたと言われています。)
そして、天平2年(730年)には有名な「東塔」も完成するなど一定の完成をみた薬師寺は、平城京を代表するお寺としての地位を確かなものにしていきます。
ちなみに唯一創建時から現存するのが東塔(国宝)です。※これについては後々わかります。
薬師寺は「南都七大寺」の一部として朝廷から手厚い保護を受けたほか、大仏建立で有名な「行基菩薩」さんなども、薬師寺の僧侶として仏道を学ばれたとされています。
南都とは、奈良時代に都(平城京)が置かれていた現在の奈良市のことを指します。
そして大寺とは官大寺のことで、朝廷の保護を受けて伽藍造営・維持・管理までを行う寺院である官寺の中でも特に格の高い寺を官大寺と呼びます。
つまり、「南都で朝廷の保護を受けた7つの寺」が南都七大寺ということになります。奈良時代、主要な寺は官寺(国営)で、僧侶は現在の国家公務員にあたります。
当時の朝廷には「仏教の力で国を守る」という「鎮護国家思想」に基づき国家運営が行われるなど、仏教と朝廷は密接な関係があり、仏教の影響力は非常に強いものでした。「南都七大寺」について
平安時代の薬師寺
平安時代に変わり今度は、平城京から平安京に遷都します。
すると奈良の地にある薬師寺は、かつての勢力をそのまま保持することは難しくなっていました。
その時に事件が起こります。
天禄4年(973年)に起きてしまった火災では「食堂」と呼ばれる建物から出火して、「講堂」や「南大門」など多数の建物が焼け落ちてしまいました。
しかし、この時は少しづつ復興が進められ、40年後の長和2年(1013年)には南大門が再建されるなど、お寺の風景は元のように回復していくことになりました。
中世の薬師寺
室町時代の正平16年(1361年)には現在で言うところの「南海地震」により薬師寺の建物に被害が出たほか、1445年には暴風で南大門が倒壊するなど、災害などにより時折被害を受けていた。
享禄元年(1528年)に起きた筒井順興らが関係する兵火では金堂・講堂などといった主要な仏堂が焼け落ちてしまうことになりました。
焼け落ちた建築物は、江戸時代に入ると、「仮金堂」や「仮講堂」といった建築として再建されますが、かつての規模や華やかさを誇る状況とは言えなくなってしまいました。
しかし、奈良町周辺の寺院のように、衰退を重ねる中でお寺の敷地が大規模に町並みに飲み込まれていくようなことはなく、それが現在も残る確固とした「境内地」につながっています。
明治以降の薬師寺
画像出典:https://www.sankei.com/
第二次世界大戦が終わり、戦後しばらくまでは江戸時代と変わらないような建物の配置が続き、やや寂しい状況が続いていました。
しかし、昭和中期頃、高度成長期以降からは薬師寺は急速に再建・復興への道筋を歩み始めます。
昭和42(1967)年から31年間にわたって管主を務めた高田好胤(こういん)師。
副住職時代に修学旅行生相手にユニークな説法を始め、その話術の高さから「究極の語りのエンターテイナー」と呼ばれるほどでした。
高田好胤師は、白鳳様式の伽藍を復興させたことでも有名です。
まずは、享禄元(1528)年に兵火で焼失した後、仮堂のままだった金堂の復興に着手します。
建築に10億円がかかると知った高田師は、浄財を集めるため、その話術をもって全国の市町村を回り説法を行い、お写経勧進に努めました。
お写経により安らいだ心の中で生き方を見つめ直すと同時に、一巻1,000円(当時)の永代供養料を募りました。
10億円が必要ということは、100万巻のお写経納経が必要ということ。
無謀な挑戦と揶揄されましたが、昭和51(1976)年に見事達成し、同年に金堂が復興されました。
その後もお写経勧進は続けられ、焼失して以来400年以上建てられることがなかった西塔、中門、回廊の一部、大講堂が次々に復興。
850万巻にも及ぶお写経結縁者の想いとともに、現代に白鳳伽藍がよみがえりつつあります。
奈良の薬師寺に行ったらココを見ておけ
こちらの章では、薬師寺に行ったらならばココだけは見ておけ!と言う。
個人的な見解も交えて解説していきます。
またベストシーズンも併せてご紹介していきます。
大きくは3つですね。
- 奈良時代を感じ取れ(建物・国宝)
- 特別開扉日を狙っていくべし
- 時間があれば、お写経・話法などを体験
順番に説明していきます。
奈良時代を感じ取れ(建物・国宝)
まずは何と言っても、歴史ある建物やその中にある国宝の数々。
境内に入ったらそこはもう奈良時代そのものです。
街中のビルや道路などは一切ない、整備された昔ながらの薬師寺がそのまま残っており。
僕たちを歓迎してくれます。
その中でもメインと言われるような場所は、「金堂」と「東塔」でしょうね。
金堂
画像出典:https://yakushiji.or.jp
歴史の章でも触れたように、享禄の兵火(1528)により一度焼失してしまいました。
その後、仮金堂が建てられたものの、当初の二層の金堂を復興することはできませんでした。
昭和43年(1968)から始まった「百万巻お写経勧進による薬師寺金堂復興」により、仮金堂は解体され、昭和51年(1976)現在の金堂が再建されました。
上層には、お写経が納められた納経蔵があります。
画像出典:https://yakushiji.or.jp
「金堂」には、本尊として薬師三尊像が安置されています。
中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩。
どれも国宝です。
病気平癒にご利益があり、体の不調から心の病まで、苦を抜いて楽を与える「仮抜苦与楽」の仏さまです。
左右は、薬師瑠璃光如来をサポートする脇侍、日光菩薩と、月光菩薩。
薬師寺のお坊さん曰く「お薬師様はお医者さん、日光菩薩は日勤のナース、月光菩薩は夜勤のナース、と覚えていただくとよろしいです」だそうです(笑)
中でも薬師如来が座っている、「薬師如来台座」は非常に興味深い。
画像出典:https://yakushiji.or.jp
薬師如来が座っておられる台座には、奈良時代における世界の文様が集約されています。一番上の框[かまち]にはギリシャの葡萄唐草文様[ぶどうからくさもんよう]、その下にはペルシャの蓮華文様[れんげもんよう]が見られます。各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人[ばんじん])の裸像が浮彫りされています。さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍[せいりゅう]、南に朱雀[しゅじゃく]、西に白虎[びゃっこ]、北に玄武[げんぶ])の彫刻がなされています。正にシルクロードが奈良まで続いていたのです。
出典:https://www.nara-yakushiji.com/より
シルクロードが奈良まで続いていたのは、驚きですよね?
世界の神が集結している。そんな文様があります。
金堂に行かれましたら、この台座にも注目して下さい♩
東堂
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創業当時から1300年の歴史のなかで唯一現存し、平城京最古の建造物です。
こちらも国宝に指定されております。
塔は本来お釈迦様のお墓を意味します。
インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。
お釈迦様のご遺骨(仏舎利)を埋葬して盛り土をしたものが原型です。
その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになりました。
薬師寺東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔です。
これは各層に裳階と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれています。
画像出典:https://mainichi.jp/
多分肉眼では見えずらいですが(笑)
ここの凄さは上部の水煙にあります
塔の上層部を相輪といいます。その更に上部に尊い塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られています。水煙に透かし彫りされた24人の飛天は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空に御仏を讃えています。
出典:http://www.nara-yakushiji.comより
特別開扉日を狙っていくべし
薬師寺には、「特別会開扉日」という物があります。
実は僕は通常の日に行ったのである場所が見れなかったんですよ。
詳しくは薬師寺ホームページの「年間行事のご案内」をチェックしてください。
2022年度でしたら、9月16日(金)〜11月30日(水)がそれにあたります。
なぜ?その日に行くのが良いのかと言いますと。
その日の特別会開扉日によって内容が異なりますが。
9月16日(金)〜11月30日(水)に関しては。
境内にあります、「西塔」「食堂」「玄奘三蔵院伽藍 大唐西域壁画」「国宝水煙 奉納作品・散華展」など。
普段でしたら見れない部分が見れるようになります。
例えば「食堂」
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食堂は僧侶が斎食(定められた時間にとる僧侶の食事)をするための建物で、約300人が一堂に会する規模であったことが発掘調査により判明しました。 『薬師寺縁起』によると食堂の規模は東大寺、大安寺に次ぐ大きさとされています。創建当初の建物は天平2年(730)頃に建てられたとみられますが、天禄4年(973)に焼失し、その後、寛弘2年(1005)に再建されるものの 再び失われました。平成29年(2017)に三度目の再建がなされました。建物外観は奈良時代の意匠を凝らした作りとし、内部は現代技術を活用することで広い空間を確保しました。堂内には文化功労者である田渕俊夫画伯により描かれた食堂ご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、 14面全長50mにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が祀られています。また、堂内天井の雲の模様は、文化功労者である伊東豊雄氏のデザインによるものです。出典:https://yakushiji.or.jp/より
その名の通り、食事をする場所ですが。
2度の焼失により無くなっていましたが、平成29年に再建されました。
ですから割と新しい建物の1つですね。
まだ見た事ないって人も多いそうです。
画像出典:https://www.kikukawa.com/
中はすごく綺麗で幻想的です。
食堂の本尊は金銅製半丈六の阿弥陀三尊像と言われており。
6m四方の本尊「阿弥陀三尊浄土図」を文化功労者である田渕俊夫画伯により奉納されました。
また仏教の文化を伝えた「玄奘三蔵」。
中国から遣唐使船に乗って命がけの旅をした入唐僧たちによって日本に伝えられ、飛鳥京から藤原京、平城京へとうつり、仏教文化の花を咲かせました。
その旅路を食堂内に14面全長50mにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」として描かれ、田渕俊夫画伯により奉納されております。
また「西塔」も「東塔」と違った魅力があります。
画像出典:https://yakushiji.or.jp/
薬師寺は、日本で初めて東西に二つの塔を建立した双塔式伽藍として有名です。
東棟は、創設当時から残っておりますが。
西棟は、西塔は享禄の兵火(1528)により焼失しております。
昭和56年(1981)に再建された西塔は、 落ち着いた雰囲気の東塔とは逆に。
鮮やかな青丹の色と金色の飾り金具に彩られて美しいコントラストをみせてくれます。
画像出典:https://www.sankei.com/photo/
西塔の内陣には、文化勲章受章者の中村晋也氏による釈迦八相像のうち果相の四相が祀られています。
当初、薬師寺の西塔初層には、お釈迦様の生涯を八場面に分けたうち果相の四相(成道・転法輪・涅槃・分舎利)が、塑像で作られ安置されていました。
しかし、多くが損傷してしまい現在は残欠が伝わるのみです。
平成27年(2015)に、中村晋也氏によって新たに造像され、奉納・安置されました。
このように普段でしたら見れないような部分が「特別会開扉日」に見れるようになります。
もちろん別日でも、「東棟」や「金堂」などは見れるのですが。
せっかく行くのであれば、余す所無く楽しみたいですよね?
随時更新されますから、年間行事をチェックしておきましょう。
時間があれば、お写経・話法などを体験
前述でも書きましたが、高田好胤師が白鳳伽藍復興のためのお写経勧進を始めたのがきっかけです。
今では、修学旅行生が立ち寄る場所であったり、テレビでも度々紹介され毎年訪れる人もいます。
画像出典:https://yakushiji.or.jp/
お写経は心を落ち着けるための仏教の修行のひとつです。
お経を一文字一文字丁寧に書き写すことで心を落ち着け、自らの心のあり方を見つめる機会です。
ただ寄付を募るのではなく、昭和・平成の日本人の美しい心の結晶として、白鳳伽藍復興を続けています。
令和元年6月に50年を迎え、勧進数850万巻を超えております。
しかし、いまだにご納経いただいていないお写経が多数あります。
薬師寺のお写経は、いつでも体験可能ですから。
行った際は、体験してみてはいかがでしょうか?
話法につきましては、奈良市観光協会が就学旅行者向けに作成した動画でどのような物か様子が伺えます。
薬師寺は奈良の修学旅行の定番地で、訪れた多くの学生たちは大人になっても「薬師寺のお坊さんの話は覚えている」と話すほど。
若者の心を掴む巧みな話術は、薬師寺の伝統です。
薬師寺どう行くのがおすすめ?周りには何があるのか?
最後に薬師寺へのアクセス情報とどう行くのがオススメかについて解説します。
住所: 〒630-8563 奈良市西ノ京町457
アクセス: 近鉄橿原線 西ノ京駅すぐ。JR奈良駅・近鉄奈良駅より六条山行バス18分「薬師寺」下車すぐ。
問合せ: 0742-33-6001 (薬師寺) FAX:0742-33-6004
薬師寺公式ウェブサイト:https://yakushiji.or.jp/
休業日: なし
駐車場 普通車 500円 バイク 100円 中型車 2,000円 大型車 2,200円 ※駐車場の利用可能時間は8:30~17:00。自転車については、無料駐輪場あり。
料金(個人):大人: 800円 中高生: 500円
※高等専門学校・定時制高等学校・通信制高等学校・夜間中学生・夜間高校生は年齢に関係なく中高校生となります。
小学生: 200円
※拝観可能場所:金堂、大講堂、東院堂
※特別公開、修学旅行等団体拝観料についての詳細は、上記URLにてご確認ください。
時間:8:30~17:00(拝観受付は16:30まで)
西ノ京駅から駅直結ですが、個人的には車で行く事をオススメします。
奈良県はどちらかといえば車社会で、西ノ京駅周辺はほぼ何もないです。
「ちょっとご飯でも行こうか!」とかは車で移動しなければ不便です。
また、薬師寺の周りにも沢山有名な寺院が多く。
8つもの世界遺産が存在します。
画像出典:https://www.buzzfeed.com/
さらに下に行けば法隆寺などもあるので。
車で行くとなると、「薬師寺に行ったついでに平城京跡でも見に行こうかな?」などもできると思います。
レンタカーは、skyticket(スカイチケット)が良いのではないでしょうか?
skyticket(スカイチケット)のレンタカー は、北海道~沖縄離島まで全国47都道府県・60社以上のレンタカー会社と提携している国内最大級のレンタカー予約サイトです。
ニッポンレンタカーやタイムズカーレンタルなど大手レンタカー会社はもちろん、地方の格安レンタカーも含めて幅広いお得なプランの最安値検索ができます。
当日予約が可能、会員登録も不要のため、ユーザビリティの高さから学生~ビジネスまで多くの方から支持を受けてます。
ちなみにお昼ご飯ですが。
薬師寺からちょっと行った場所にある「がっつり亭尼ヶ辻店」がオススメ!
画像出典:https://www.jalan.net/
ここ何が良いかって。
ご飯とカレーとお漬物がおかわり自由。
さらに定食もデカ盛り。
余ったらトレーをもらってテイクアウト可能。
お腹空いた際にがっつりご飯が食べられるからすごく良いですよ。
薬師寺から車で10分位の場所です。
また奈良県で宿泊先を探すなら「るるぶトラベル」がおすすめです。
キーワード検索で今泊まれる宿が一発で見つかります。
当日予約可能ですから。
何も決めていない際や急遽宿泊になった際には便利ですよ。
まとめ
本日は以下について解説しました。
- 薬師寺について→病気平癒、健康祈願のお寺
- 奈良の薬師寺に行ったらココを見ておけ→奈良時代を感じ取れ(建物・国宝)、特別開扉日を狙っていくべし、時間があれば、お写経・話法などを体験
- 奈良時代を感じ取れ(建物・国宝)→メインと呼ばれるような「金堂」と「東塔」
- 特別開扉日を狙っていくべし→普段でしたら見れない部分が見れるようになる
- 時間があれば、お写経・話法などを体験→仏教の修行のひとつでテレビでも紹介される程人気です
- 薬師寺どう行くのがおすすめ?周りには何があるのか?→車で行くのがオススメ。周りには8つの世界遺産がある
本日は奈良の薬師寺について解説しました。
魅力は伝わったでしょうか?
一歩足を踏み入れた瞬間異世界に来た感覚になります。
南都七大寺の1つで奈良時代を代表するお寺の1つです。
人生で一度は訪れて見てはいかがでしょうか?
ちなみに薬師寺より少し下に下ると「法隆寺」がございます。
「法隆寺」については以下にもまとめていますので。
良かったら合わせてチェックして見てください♩
本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
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