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兄弟喧嘩から始まった!?adidas(アディダス)誕生秘話について

COLUMN(コラム)
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こんにちは。

皆さんadidas(アディダス)というブランドをご存知でしょうか?
3ストライプで有名なあの世界的企業ですよね?

このadidas(アディダス)の歴史が非常に面白いので、今日はその解説をしていこうと思います。

 

▼こちらも併せてご視聴して見てください▼

adidas(アディダス)について

世界的なスポーツカンパニーとして名作スニーカーを発表し続けるアディダスは、年間売上高が119億9000万ユーロ、そして従業員数は42,540人の巨大企業で、アディダスは全てのスポーツ用品がそろうブランドとして認知され、アウトドアラインが登場した後、1998年には直営日本法人が設立されました。

ダスラー兄弟

1920年、ドイツのニュルンベルクにて靴職人の息子として生まれた、アドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラーの2人が共同で資金を出し、靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立した事でスタートします。

兄のルドルフが販売を担当し、弟のアドルフは製造を担当しました。

それぞれのスポーツにあった専用のスニーカーが必要だ」と考え、それを具現化したスニーカーはアスリート達に大変好評となり、数多くの大会で好成績を残したためブランドの名は世界へ響きました。

1924年、靴紐の変わりにゴムの付いた革底を使用した体育館シューズを開発したことがきっかけとなり、地元の体育協会が大量に靴を注文したことでブランドは軌道に乗り始めました。世界恐慌の影響を受けながらも、ベルリンオリンピックの効果によって再びブランドは盛況となります。戦争を機に一時生産をストップすることになったが、戦後まもなく生産を再開。

兄弟の不仲から生まれた

第二次世界大戦中、仕事を請け負うには、ナチスの党員である必要がありました。ルドルフは党員となることを拒否して投獄され、アドルフはそれをうまくやり過ごしたのです。
順調に見えたダスラー兄弟商会ですが、内部でのもめ事は激化していました、職人気質で無口なアドルフと、営業販売が中心のルドルフの間で意見が食い違い、それがキッカケで1948年にダスラー兄弟商会は分裂する事となります。

兄のルドルフは持ち株を全て弟のアドルフに売却し、その資金で、ルドルフの[ru]と名字の[da]を取りRUDAというブランドを、アディダスから川を挟んだ対岸でスニーカーの製造をスタートさせ、翌年にはもっとフットワークの軽い名前を、となり社名をプーマ(Puma)に変更しました。弟のアドルフ・ダスラーは自身の相性である「アディ」と名字のダスラーから、「ダス」を採ってadidas【アディダス】というスニーカーブランドを発足させます。販売部門の従業員の多くは兄ルドルフについて行き、技術者の多くは弟アドルフのもとに残りました。

ドイツの町をも巻き込む喧嘩

ダスラー兄弟の争いは、町の人々までも巻き込んでいきました。それは、互いに相手のシューズを確認してからでないと、会話を始められないほど深刻なものになっていきました。街の人がみな、靴を意識していたので、「首を曲げた町」と呼ばれていたほどです。

優秀なスポーツ選手を広告塔に利用しはじめると、争いはさらにエスカレート。スポーツ界を巻き込む大きな争いへと発展していったのです。初めは、用具の無償提供から始まったセールス合戦も、すぐに札束が飛び交う抗争へと発展。スーパースター獲得競争の幕開けでした。

北斗四兄弟もビックリの兄弟ゲンカですね。

次々とブランドを発表

独立後のアディダスは快進撃を続けて他のブランドを圧倒しました。

ヘルシンキオリンピックでは西ドイツの選手全員がアディダスのスニーカーを履いて以来、あらゆる方面から支持を集めるようになりました。

1965年にはテニスシューズ「ハイレット」を発表し、人気になりました。このハイレットは、後にAdidasを代表するスニーカーのひとつ、Stan Smith(スタンスミス)です。 1970年、オールレザーのバスケットシューズ、「Super Star(スーパースター)」発表。サッカーのFIFAやオリンピックのIOCなど国際的スポーツ組織を巻き込んで、スポーツをビジネス化することに成功しました。こうしてAdidasは世界一の売上高を誇るスポーツブランドにまで成長しました。

adidas Originals (アディダス オリジナルス)をスタート

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