おはようございます。モウリです
あなたは『お祭り』に参加されたことはありますか?
今や全国各地で『お祭り』を目にすることができます。
しかしこの『お祭り』ってそもそもなんであるの?って思いませんか?
どういう流れでこんなイベントができたのだろうか?
そこで今日は
- 『お祭り』が生まれた起源について
- なぜ「娯楽」として発展したのか?
- 『お祭り』の種類について
- おすすめの『お祭り』
などなど。
『お祭り』に関連した話題をピックアップしようと思います。
この夏は、一度は参加したい夏の風物詩。
歴史から遡って今の祭りまで振り返っていきましょう♪
きっと驚きと発見がありますよ♪
『お祭り』の起源について
画像出典:ナタリー
調べたところ、歴史書の古事記(712年)にの「天の岩戸隠れ」という神話が起源とされております。
これビックリしたのですが、以前「ひろしま神楽」について解説した記事を挙げているのですが。
「神楽」の起源と『お祭り』の起源は一緒みたいですね。
簡単に説明すると、「天岩戸隠れ」とは、天岩戸に引きこもってしまった太陽の神・天照大神(あまてらすおおみかみ)を外に誘い出すために、八百万(やおよろず)の神々が岩戸の前で盛大な宴会を開いた結果、天照大神が顔を出し、空に光が戻ってきたというお話です。
その際に開かれた宴会が、現代でいうところの「祭り」の起源だと言われています。
また、「祭」という言葉の語源は「祀る(まつる)」という動詞で、神様に供え物を献上する意味合いも持っています。
「天の岩戸隠れ」についてはこちらで詳しく解説しておりますので。
参考にしてみてください♪
どのように現在の『娯楽』へと発展したのか?
画像出典:國學院大學
先ほどは、「宴」が起源とされておりました。
起源の部分では、「神事」的な側面があります。
いつから一般大衆で楽しむ「娯楽」へと変化していったのか?
時系列で色々とみていこうと思います。
古代では五穀豊作や平和などを願い、災いが訪れた際には退散を願うなど、祭りは常に人々の暮らしと密着したものでした。
6世紀以降は仏教伝来、仏教が日本にもたらされると、その儀礼で披露される大陸由来の舞楽・雅楽なども定着し、やがては神前で舞楽が神に捧げられるようになった。
一方で、猿女(さるめ、巫女)による舞や、東遊(あずまあそび)・和舞(やまとまい)といった日本固有の舞も整えられ、神に捧げられていく。
もうここら辺から「祭り」は細分化されていました。
ここで、「閉ざされた空間」で行う「祭祀」と、「祭礼」の違いが出てくる。
「【祭祀】を限られた人が参加するクローズドなもの、【祭礼】を不特定多数の人々が観覧するオープンなものと定義しました。その意味で言えば、現代の祭りは祭礼であり、日本でこの形式が出始めるのは平安時代中期。そして、祭りの祭礼化が芸能の発展に関わります」
民俗学者の柳田国男氏(國學院大學より)
平安時代中期は、平将門や藤原純友が相次いで反乱を起こし、自然災害も重なるなど、社会情勢が不安定な時代でありました。
更に、そのような民衆の心理状態に響きあうように、志多羅神(したらしん)という得体の知れない神が出現し、その神の神輿を民衆がかつぐ騒ぎも起きたことが、記録には残されています。
そこで注目すべきは、移動する神輿の周りに、鼓を打ち歌い舞う人々がいたことです。
その数は膨大で、歌舞の音は山をも動かすほどであったといいます。
これが芸能を伴い多くの人々が参加する祭礼の、初期の形であったのかも知れない。
神輿とともに芸能がセットで移動する祭りの形式は、この頃から定着し始めたのではないでしょうか。
こうした歌舞や芸能は、後に田楽などの組織化された芸能につながるものとも考えられます。
画像出典:國學院大學
江戸時代になると祭りはすっかり庶民の娯楽として定着し、神輿や山車の行列、獅子舞、花火大会など現在もお馴染みの催しが多く見られるようになりました。
またお盆に踊られる盆踊りや七夕など仏教、外国伝来の行事に由来するもの、武将たちの戦勝を祈念したもの、流行病の沈静化を願ったものなど新しい由緒を持つ祭りもどんどん生まれていきました。
画像出典:東京街人
長い間、神仏習合にもとづいて祭りは行なわれていましたが、明治維新とともに政府より発せられた「神仏分離令」によってその歴史は大きく変わることとなります。
祭政一致社会をめざし、神道のみを国民の精神的要とする「国家神道」を掲げた政府は仏教と神道を切り離したばかりか、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という徹底した仏教の撤廃を行ないました。
単に神社から仏像を破壊したばかりではなく、仏と関係の深かった祭神の強制的な変更や追放、寺社の領地押収による廃寺化、仏教行事の禁止など、日本からありとあらゆる仏教的要素が消えていきました。
画像出典:戦国ヒストリー
神道においても神社は国家の管理下に置かれたことで、今までの体制を大きく変更させられることとなります。
伊勢神宮を頂点として、天皇との関係が深い順に神社の位が定められた「社格制度」、複数の神社を統合、消滅させ一社ごとの威厳を強固なものにする「神社合祀」など、これらの政策は神社の在り方はもちろん、祭りにも多大な影響を及ぼしました。
仏教行事に由来した催事はもちろん、神仏両方を祀っていたものやそうでないもの、新しいものから伝統あるものまで、さまざまな祭りがこの政策で消滅してしまいました。
残された祭りも仏教要素の排除や祭式統一化などを求められ、形式を変えられたものも多くあります。神仏分離令は日本の祭り史上に残る大混乱を起こしたのです。
終戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により国家神道は解体され、神道自体も国家による管理体制を離れ、廃仏毀釈の波もおさまったことで、神道と仏教はまた新たに別々の宗教として道を歩んでいくこととなりました。
分離令により失われていた祭りもいくつかは伝統を引き継いだ人たちにより復興されるようになりました。
画像出典:オマツリジャパン
神仏両方の行事が親しまれるようにもなり、お寺や神社の催事には宗派に関係なく多くの人が集まり盛り上がる一方で、祭りそのものが単なる大衆の「イベント」と化してしまっている、祭りの継承者がいなくなっているなどの問題点もあります。
それでも、伝統的な祭りになると県外から大勢のお客さんが訪れ、地元の楽しみだけでなく観光アピールとして、新たな意味を持つようにもなっています。
このため、町おこしや土地のアピールを目的とした新しい祭り・フェスティバルが各地で行なわれるようになりました。
祭りの種類と用語について
祭りの種類について解説しようと思ったのですが。
僕が想像する以上にたくさん種類がありました(笑)
実は、ひな祭りも祭りの1つなんですよ。
知っていましたか?
あと「七夕」も祭りの1つとしております。
ここでは代表的な物をいくつかピックアップしてお届けいたします。
お神輿について
画像出典:オマツリジャパン
神輿(みこし)は、神様が祭りの際に巡回するために使用する「輿」(乗り物)です。
災いや穢れを吸収・浄化し、人々の祈りや豊作の願いを聞いてくれると言われています。
神輿の魅力は、何よりも神輿を担ぐ人々の熱意にあります。
重量物は何百キロもあり、多くの人が力を合わせて肩に担ぎます。
基本的には都市に住む人々が中心となり着ることであり、地域コミュニティの形成に大きく貢献しています。
山車・太鼓台について
画像出典:刈谷市観光協会
山車や太鼓台は、お祭りの際に引かれたり担がれたりする装飾的な乗り物であり、神様の乗り物でもあります。これらは神輿よりも重く、通常は人々によって引かれるように設計されています。
なぜ山車と呼ばれるのかというと、それは自然の山々を模して作られたためです。
神様は山岳や山頂の岩や木に降臨されると信じられており、山車はお祭りの期間中、神様を迎え入れ、お迎えするために作られたのです。
その後、神様をより喜ばせるために、山車は華やかに飾られ、奏者や演者が乗ることができるようになり、車輪が付けられるようになりました。
これによって、山車は現在の形状に進化しました。
太鼓台も車輪が付いており、中には太鼓を叩くためのスペースがあり、担ぎ棒も取り付けられています。
山車と同様に、太鼓台も神様が乗られることが多く、豪華な花や人形などで装飾されることが特徴です。
京都の祇園祭などでは、美しい風流な世界が描かれた歴史絵巻を体験することができます。
一方、岸和田のだんじりのような太鼓台は、激しい走りを見せることがあります。
それぞれ異なる雰囲気を楽しむことができるので、ぜひお楽しみください。
火祭りについて
画像出典:西尾市観光協会
世界中の様々な文化では、火は特別な力を持つと信じられてきました。
日本も例外ではなく、浄化のための火の祭りや、霊力を高めるための炎の力を求める儀式など、さまざまな火祭りが古くから存在してきました。
その歴史は非常に古く、1000年以上も続く祭りもあります。
日本の火祭りには、火を焚いたり、多くの松明(たいまつ)を用いたりするなどの特徴があります。
さらに、熱した炭の上を歩いたり、炎に身を投じるなど、危険を伴う激しい儀式も多く存在します。
有名な例としては、愛知県西尾市で行われる「鳥羽の火祭り」があります。
この祭りでは、燃え盛る炎の中に身を投げ入れ、神木や十二縄を競って取り出し、神殿に供えるという壮絶な行為が行われます。
これは、日本の祭りの原初的な姿を伝えるものとなっています。
盆踊りについて
画像出典:awaodorimirai.com
「盆踊り」とは、仏教の由来を持つ踊りであり、先祖を供養するために行われるものです。
日本全国には1,000種類以上の盆踊りが存在すると言われています。
典型的な形式では、広場の中央にやぐらが建てられ、人々がやぐらの周りを回りながら音頭に合わせて踊ります。盆踊りは誰でも気軽に参加できるため、古くから一般市民の楽しみとして親しまれ、夏の風物詩となっています。
その中でも、「日本三大盆踊り」として知られているのは、秋田県の「西馬音内盆踊り」、岐阜県の「郡上おどり」、徳島県の「阿波踊り」です。
これらの踊りは地域を超えて広まり、全国的に楽しまれています。
裸まつりについて
画像出典:岡山県観光連盟
外国の方が最も驚くであろう日本の祭りは、「裸まつり」ではないでしょうか。
この祭りでは、文字通り褌(ふんどし)などに身を包み、裸体に近い姿で参加します。
裸で行われる祭りには、海岸で神輿を担ぐ「潮踏み」や宗教行事である「蘇民祭」・「西大寺会陽」といった、異なる意味合いが存在します。
「裸まつり」という呼称は、最近になってふんどしを身にまとって行われる祭りを総称するために使われるようになりました。
なぜ裸で行うのかというと、産まれたままの姿で清浄無垢の姿で神との交流を行うためだと言われています。
新たな生命力の復活を示す姿や、穢れを清める意味合いが込められています。
そのため、裸まつりは大晦日や小正月、夏の祓(はらえ、はらい)の祭りなど、重要な節目の時期に行われることが多いです。
代表的な例としては、岡山県の「西大寺会陽」というはだか祭りがあります。
ここでは住職が投げ込む2本の宝木(しんぎ)をめぐり、裸の参加者たちによる激しい奪い合いが繰り広げられます。
これを手に入れた者は「福男」と呼ばれ、幸運が訪れると信じられています。
ねぶたについて
画像出典:nebuta.jp
海外で最も人気のある日本のお祭りとして知られるのは「ねぶた」です。
この祭りは青森県の各地で夏に開催されるもので、人形型または扇型の張りぼてを載せた山車を引いて行われます。
ねぶたのルーツは、鎮魂の意味を持つ灯篭流しにあります。
まず目に飛び込んでくるのは巨大な山車で、歴史や神話をテーマにした壮大な山車が夜空に浮かぶ姿は見応えがあります。
この祭りを一層盛り上げるのは、跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手たちです。
彼らは華やかな衣装に身を包み、跳びはねるように踊ります。
ねぶたは北国の短い夏を楽しみ、エネルギーを爆発させる最高のステージです。
旅行者にとって嬉しいのは、誰でもハネトとして参加できることです。
青森市や五所川原市では、レンタル衣装店が営業しており、その日に行って衣装を借りて参加することができます。
心躍るお囃子に合わせて、地元の人々と一緒に踊ってみましょう!
花火について
画像出典:大仙市観光物産協会
日本の花火は、「花の火」と表記される通り、その美しさ、華やかさ、そして儚さが特徴です。
その歴史は江戸時代までさかのぼり、古くから一般の人々に愛されてきました。
花火は美しい光景を楽しむだけでなく、神聖な火の力を借りて慰霊や鎮魂の儀式を執り行う場合もあります。
日本の花火の特徴は、円形に広がることです。
花火は大きく広がり、見る者を魅了する美しい変化を見せます。
また、仕掛け花火と呼ばれるものでは、文字や絵が表現される花火や、富士山やナイアガラの滝を模した花火なども楽しむことができます。
さらに、手筒花火というものもあります。
この花火は手で筒を抱え、空中に火の粉を噴出させ、最後に抱えたまま破裂します。
手筒花火は神聖な儀式の一環として行われることもあります。
日本各地で開催される花火大会には、大曲の花火(秋田県)、隅田川花火大会(東京都)、長岡花火(新潟県)など、有名なものがあります。
綱引きについて
画像出典:沖縄観光コンベンションビューロー
綱引き(大綱引き)もまたお祭りの一環となります。
この行事では、参加者が二つのチームに分かれ、藁で作られた長く太い綱を引くという活動が行われます。
綱引きはもともと、雨乞いの儀式から派生したものであり、綱は巨大な蛇や龍の姿を模しています。
蛇は雨をもたらす存在と考えられており、そのため水神の使いとして崇められてきました。
綱引きは力比べの娯楽でもあり、村々や地域の団結力を高める重要な行事となっています。
農村や漁村では、農作物や漁の豊凶を占い、五穀豊穣を祈る意味もあります。
また、交易都市では他地域との交流を祝う行事としても行われてきました。
有名な綱引き祭りとしては、那覇大綱引まつりがあります。
この祭りでは、「世界一の藁綱」としてギネスに認定された綱を使用します。
祭りでは民俗伝統芸能のパレードも見られ、参加者は綱を引くこともできます。
一緒に力を合わせて大きな声を出し、楽しむことができます。
ぜひ参加してみてください。
来訪神(らいほうしん)について
画像出典:男鹿なび
この写真を見たら驚くでしょう!
それは秋田県の「なまはげ」として知られる神様です。
大晦日の夜になると、村の若者たちがこのお面を被り、なまはげに扮して家々を訪れます。
なまはげは、日本全国に存在する「来訪神」の一種です。
2018年には、宮古島の「パーントゥ」と能登の「アマメハギ」などとともに、「来訪神 仮面・仮装の神々」としてユネスコの無形文化遺産に登録されました。
これらの来訪神は、神様の使者とされ、年に一度、正月などの特別な時期に人間の世界を訪れるとされています。
彼らは奇妙な姿で表現され、仮面をかぶり仮装した姿で家や集落を訪れます。
見た目は恐ろしいかもしれませんが、彼らは怠け者を戒めたり、幸福をもたらしたりする存在とされています。
日本三大祭りについて
三大〜〜って聞くとすごいと感じますよね?
「○○三大〜〜」みたいな形で名前がつくことも多くあります。
前述で述べた話だと、「日本三大盆踊り」「日本三大花火大会」などなど挙げられておりました。
日本各地の祭りの中でも特に有名なものが「日本三大祭り」です。
日本三大祭りは祇園祭(京都)、天神祭(大阪)、神田祭(東京)で、いずれも非常に規模が大きく、歴史が古いという特徴があります。
以下で詳しくみていきましょう♪
祇園祭(京都府・八坂神社)
京都で古くから続く伝統文化が息づく「祇園祭(ぎおんまつり)」は、長い間都が栄えた地で行われる特別な祭りです。
八坂神社を中心に開催され、その歴史は千年以上にわたります。
その重要性が認められ、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
祇園祭は「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼ばれ、869年(貞観11年)に日本各地で疫病が流行した際、災厄の除去を祈るために始まりました。
この祭りは、遠い昔に起きた疫病の時代を思い起こし、歴史の重みを感じることができるものです。
7月17日の山鉾巡行(前祭)が終わった夕刻、八坂神社の石段下で祭りの主役となる3基の神輿、「素戔嗚尊(すさのをのみこと)」「櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」「八柱御子神(やはしらのみこがみ)」の差上げが行われます。
そして、出発の儀式である「神輿渡御(みこしとぎょ)」が執り行われます。
それぞれの神輿は「ほいっと!ほいっと!」という掛け声とともに、力強く高く掲げられる様子は見応えがあります。
また、祇園祭の見どころである山鉾巡行(やまほこじゅんこう)では、祭りの前後に2回行われます。
34基の山鉾(山車)が京都の町を練り歩き、まさに「動く美術館」とも称されるほどの壮麗さと華やかさを見せます。
祇園祭は、7月1日から5日までの吉符入(きっぷいり)から始まり、7月31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)で幕を閉じるまで、約1カ月にわたってさまざまな神事や行事が繰り広げられます。
この期間中、約180万人もの人々が訪れ、祭りの安全を祈願いながら参加します。
祇園祭では、毎年7月1日から5日までの間、祭りの無事を祈るための「吉符入(きっぷいり)」が行われます。
この儀式を皮切りに、さまざまな神事や行事が展開されます。
そして、祭りの最後を飾るのは7月31日の「疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)」です。
この祭りが終わることで、祇園祭は幕を閉じます。
祇園祭の期間中は、多くの人々が訪れ、祭りを楽しむために京都に集まります。
美しい山鉾の巡行や神輿の担ぎ上げ、華やかな祭りの装飾など、祇園祭ならではの風景や雰囲気を体験することができます。
祇園祭は、千年以上の歴史を持ちながらも、現代でも多くの人々に愛され続けています。
その伝統や文化は、京都の誇りであり、日本の祭りの中でも特に重要な存在です。
是非、祇園祭の時期に京都を訪れて、その壮大な祭りの雰囲気を身近に感じてみてください。
祇園祭の魅力に触れることで、日本の伝統文化や祭りの力強さ、華やかさを存分に味わうことができるでしょう。
天神祭(大阪府・大阪天満宮)
大阪の熱気に包まれ、人情味あふれる雰囲気で輝くのが「天神祭(てんじんまつり)」です。
この祭りは、大阪天満宮で毎年7月24日と25日に開催される最大規模の祭りです。
天神祭の起源は、約1,000年前に遡ります。
この祭りは、菅原道真公の御霊を鎮めるために始まりました。川には白木の神鉾が流され、神社の領地に住む人々が船を用意して迎えるという儀式が行われました。
そして、神社では祓い清めの儀式が執り行われました。
その後も、この伝統は受け継がれ、大阪の天満宮を中心に信仰を集めるようになりました。
天神祭の見どころの一つは、祭りの最終日に大川と堂島川で行われる船渡御です。
多くの船が集まり、賑やかな祭りの雰囲気が広がります。周囲にはかがり火や屋台が立ち並び、毎年100万人近くの人々が訪れます。
また、祭りのフィナーレを飾る「天神祭奉納花火」では、特別に作られた梅鉢の形をした花火が打ち上げられます。
水面に映る美しい光と夜空を彩る花火は、「火と水の祭典」としても知られています。
2023年の天神祭は、通常開催となります。
そして、奉納花火が行われる予定です。
この復活の瞬間を目撃する機会を逃さず、天神祭の魅力あふれる雰囲気を堪能してください。
大阪の熱気と人々の熱情に包まれた祭りの瞬間は、一生の思い出となることでしょう。
神田祭(東京都・神田明神)
神田明神は、紀元730年(天平2年)に現在の大手町に建立され、1616年(元和2年)に江戸城の表鬼門の守護神として現在の場所に移されました。
東京(江戸)という大都市で、人々の信仰を集める守護神として、今日まで崇拝され続けています。
この神社を中心に、2年に1度「神田祭(かんだまつり)」が開催され、毎回約30万人がこの祭りに訪れます。
神田明神は、神田や日本橋、秋葉原、大手町などの地域の氏神とされており、108の町会に広まっています。神田祭の最大の魅力である「神幸祭(しんこうさい)」では、ご祭神を乗せた鳳輦(ほうれん)と、平安時代の衣装を身にまとった人々が大行列を作り、108の町会が約30キロメートルにわたって行進します。
まさに「天下祭」と称されるほど、絢爛豪華な巡行は祭礼絵巻そのものです。
さらに、もうひとつの見どころである「神輿宮入」では、大小200基の神輿が江戸っ子たちの元気な声援を受けながら、次々に神田明神に到着します。
2023年には、4年ぶりに神田祭が開催され、江戸っ子たちの情熱に包まれた姿が多くの人々でにぎわいました。
次回の祭りは、2025年の5月上旬に予定されています。
そこで、また熱気にあふれる江戸っ子たちの姿を見る機会をお楽しみください。
まとめ
本日は以下について解説いたしました。
- 『お祭り』の起源について→「天の岩戸隠れ」という神話が起源とされており。この時の宴会が、現代でいうところの「祭り」の起源とされている
- どのように現在の『娯楽』へと発展したのか?→初めは五穀豊作や平和などを願い。江戸時代になると祭りはすっかり庶民の娯楽。近年は、観光、伝統行事、町おこしなどフェスティバルな要素もある。
- 祭りの種類と用語について→ お神輿、山車・太鼓台、火祭り、盆踊り、裸まつり、ねぶた、花火、綱引き、来訪神(らいほうしん)などなど
- 日本三大祭りについて→祇園祭(京都)、天神祭(大阪)、神田祭(東京)
あなたのお住みの周りにはどのような『お祭り』がありますか?
是非お聞かせ頂ければ嬉しいです。
死ぬまでに1度は日本三大祭りのどれかに参加する側になりたいですね。
おそらく規模が大きすぎて震え上がるかもしれませんが(笑)
今回を通じて何か発見があると嬉しいです。
本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
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