なぜ人は”桜”を見ると風情と感じてしまうのか?

COLUMN(コラム)
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おはようございます。モウリです。

4月と言えば、桜の季節ですよね?

この記事を執筆している今は、ちょうど桜も満開。
お花見スポットでは、沢山の観光客がお花見を楽しんでいる風景が伺えました。

そこで疑問に思ったこと。

  • なぜ日本人は桜を見ると風情と感じしまうのか?
  • なぜ桜が咲くと花見をするのか?

桜を見ると「綺麗だな」とか「写真を撮ろう」とか。
日本中には、沢山「花」が咲いていますが。
なぜ桜だけが別格扱いなのでしょうか?

今日はそんな疑問にお答えしようと思います。

ちなみに普段から疑問に思ったことは”Twitter”でも発信していますので。
よかったら合わせてみて見てね。

「桜(さくら)」と言う言葉の由来

まずあなたは、「桜(さくら)」と言う言葉の意味を知っていますか?
実は「桜」には意味があったんです。

諸説ありますが。
ここでは2つご紹介いたします。

『古事記』や『日本書紀』で登場する天照大御神の孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)に求婚される美しき木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が、はかなく散るものの象徴(=桜の花)として書かれていて、桜という名称は「咲耶」から転じたという説があります。

また、民俗学においては、田の神を意味する「さ」と神の御座の「くら」が結びついたという説があります。
満開の桜には田の神が宿り、田植えから収穫まで見守ってくれるありがたい存在として、農耕民から崇められていました。

「桜(さくら)」はいつから日本に広まったの?

まず始めにお話しするのは、「桜」の前に元々「梅(うめ)」が愛されていました

奈良時代に、中国で愛好されていた「梅」が貴族の間でもてはやされるようになります。
それは『万葉集』に詠まれた歌の数にも表れていて、桜の歌が43首、梅の歌は110首。
いかに梅が当時の人々の心をとらえていたのかよくわかります。

旧暦を使用していた時代には、新しい1年のはじまりは春とともに訪れていました。
そのため、当初のお花見は「桜」よりも早い時期に開花する「梅の花」を愛でていた。

庶民にとって春の花といえば、やはり「桜」。
田の神が宿る木であり、農耕の時季を知らせてくれるありがたい花として、決して欠かせない存在でした。

遣唐使が廃止され、国風文化が花開いた平安時代になると、支配層における梅と桜の立場も逆転します。
平安京に遷都した桓武天皇が紫宸殿に植えた左近の「梅」が、仁明天皇によって「桜」に植え替えられたことも手伝って、貴族たちは桜を貴ぶようになりました。

はじめて桜の花見をしたのは、平安時代(天長8(831)年)の天皇である嵯峨天皇であったといわれています。天皇主催の花見が毎年開催されるようになったことも、貴族から庶民へと花見の文化が浸透していくきっかけとなった理由の1つに数えられます。
その様子は『源氏物語』の「花宴(はなのえん)」に描かれています。

その後平安時代から鎌倉時代へ移行しても「桜」は日本人の心を癒していきました。
吉田兼好の随筆『徒然草』には、貴族が桜を上品に鑑賞するのに対して、上京したての田舎者は酒を飲み連歌をして大騒ぎをしていたと書かれています。
また数多くの『和歌』にも「桜」と言う言葉が使われており、この時代に桜は花を代表するような圧倒的な存在になっていたことがわかります。

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ではなぜ人は「花見(はなみ)」をするようになったのか?

「花見」はもともと「花狩り(はながり)」と呼ばれ、花の霊力を身にまとうのが本来の意味。
それは、人間が勝手に花から力をもらうといった一方的なものではなく、人が花を楽しませ歓ばせるという双方向的なものだったらしい。

山から神様が下りてきて、桜の花に座る。
その神様を楽しませ歓ばせるために人々は宴を開き、舞い、踊る。
「芸能」のはじまりですね。
桜は「穀神」なので、宴は豊穣の祈りになります。
花見が芸能につながり、祈りにつながる。
桜の木の下の宴会は、単なる飲み会ではなかったわけですね。

 

ちなみに「桜」に関する『花言葉』も数多くあります。

花が咲く頃を「花時(はなどき)」と言いますが、特に桜が咲く頃をさし、人々は花時になると「桜狩(さくらがり)」に出かけて和歌を詠んだりしていました。
この桜狩が行楽としてくだけた表現になったものが「花見」で桜の下に「花筵(はなむしろ)」を敷き、食事をしながら桜を見物する今のスタイルになったそうです。

花時(はなどき)」→満開の時期
桜狩(さくらがり)→花見
花筵(はなむしろ)」→レジャーシート

みたいな感じですね。

その後の「桜」の行く末

安土桃山時代になると、豊臣秀吉による大がかりな花見が世をにぎわせました。
文禄3(1594)年の「吉野の花見」は、大坂から1000本もの桜を移植した吉野の山に、徳川家康や前田利家、伊達政宗など有力武将ら5000人を招いて5日間も行ったというかつてない盛大なスケール。
続く慶長3(1598)年の「醍醐の花見」は、醍醐寺に700本の桜を移植し、1300人を招いたことが記されています。

▽吉野花見図屏風▽


画像出典:https://www.kcua.ac.jp/2020-nakamura-miyo/

秀吉が催した大花見会を機に、花見は宴会行事として定着。
それに伴って京都の寺社や山々には桜が植えられるようになったと伝わります。

さらに、江戸時代に入ると3代将軍徳川家光が創建した寛永寺に吉野の山桜が大量に移植され、江戸で初めての桜並木が出現します。
その後、8代将軍吉宗は庶民の行楽のための桜の名所を江戸の各地につくります。
そこで催された花見の宴では身分を問わず無礼講が許され、江戸庶民は花見を心待ちにして、桜に対する思い入れを深くしていきます。
それにより、江戸中期の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)の「敷島の大和心を人問わば朝日ににほふ山桜花」の歌のように、桜は日本人の心の象徴とされるようになりました。

江戸末期から明治にかけての品種改良によるソメイヨシノ
従来の山桜の花弁は白く、花と葉が同時に現れるのに対して、ソメイヨシノはほんのり紅をさした花だけが先に開き、いっせいに散り、その様子は華麗そのもの。
ソメイヨシノが全国に植えられることによって、桜の美しさやその意味は全国に広がりました。

画像出典:https://midaiminamikoen.com/plant/detail.php?plant_id=34

ちなみに「ソメイヨシノ」と言う名前の由来ですが。

江戸時代末期に、染井村、現在の東京都豊島区の植木屋が売り出し、明治以降、全国に広まったと言われています。
名前は、当時の染井村の「ソメイ」が取り入れられています。
では、「ヨシノ」はどこからきているのでしょうか。
当時は、奈良の吉野の桜が有名でした。
そのため、植木職人は、江戸で奈良の吉野の桜が見られると称して、「吉野桜(ヨシノザクラ)」という名前で売り出しました。
しかし、本当の吉野の桜は、ヤマザクラだったので、ソメイヨシノとは種類が違っていました。
そこで、明治33年、誤解を招かないよう、「染井吉野(ソメイヨシノ)」と改めて命名されました。
ソメイヨシノの名前は、染井村に加えて、吉野の桜に由来がありました。
淡いピンクの花が咲きそろう姿はとても華やかで今も多くの人に愛されています。

「桜」1つ取っても様々なエピソードがあり面白いですね

日本の三大桜とは?

ここでは最後に桜の名所である日本三大桜をご紹介致します。

日本三大桜とは、「福島県の三春滝桜」「山梨県の山高神代桜」「岐阜県の根尾谷薄墨桜」の3つの巨木の桜のことを指します。
これらは1922年10月12日に国の天然記念物に指定され、日本で最も価値の高い桜として認識されるようになりました。
何百年も命を育んできた生命力を強く感じると共に、その大きさや美しさに圧倒されること間違いありません。
また最近では、「埼玉県の石戸蒲桜」「静岡県の狩宿の下馬桜」を加えて「5大桜」とも呼ばれます。
日本人なら一生に一度は見ておきたい「桜の名所」ですね。

福島県の三春滝桜


画像出典:http://miharukoma.com/blog/takizakura-bloom/11347

福島県田村郡にある三春滝桜は、樹齢1,000年以上ともいわれる大変大きな桜で、品種は「ベニシダレザクラ」です。13メートル以上の高さを誇り、四方に張った枝もほぼ10メートルを超えています。日本最古の桜としても有名で、大きさや寿命の長さだけでなく、見るものを圧倒する美しさも兼ね備えている桜です。

4月中旬から下旬頃に見ごろを迎え、シーズン中には夜間のライトアップなどもおこなわれ、三春滝桜の近くには3,000本以上の桜が楽しめる「さくらの公園」もあるため、桜が満喫できる名所ともなっています。「三春」の由来は「梅・桃・桜の3つの花が同時に咲き誇る」「御春から来ている」など諸説ありますが、昔から春の花の美しさが見どころとなっていた証のような町名だといえます。

【所在地】
福島県田村郡三春町滝字桜久保

【アクセス情報】
JR磐越東線三春駅下車、臨時バス「滝桜号」(滝桜観桜期間のみ)
船引三春IC 車20分(三春駅から臨時バスあり)

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山梨県の山高神代桜


画像出典:https://www.porta-y.jp/feature/hanami-yamanashi/shindaizakura

山梨県北杜市武川町にある山高神代桜は、三大桜の中でもっとも寿命の長い古木とされており、その樹齢は2,000年以上といわれています。
桜の種類は「エドヒガンザクラ」で、国の天然記念物第1号に指定されているほか、新日本名木百選にも選ばれている名木の桜です。

山高神代桜は、その樹齢の長さから「ヤマトタケルノミコトが植えた桜」といわれるほどで、ほかにも数々の伝説を持っています。
高さは10メートルを超え、東西に張り出した17メートル以上の枝は圧巻の見ごたえ。
例年4月初旬頃には見ごろを迎え、周辺にもたくさんの桜や、同じ時期に水仙の花も見ごろを迎えるなど、美しい景色が楽しめます。

【所在地】
山梨県北杜市武川町山高2763

【アクセス情報】
JR中央本線韮崎駅からバスで30分
JR中央本線日野春駅からタクシーで15分
中央自動車道韮崎ICから車で30分

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岐阜県の根尾谷薄墨桜


画像出典:https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_921.html

岐阜県本巣市にある「根尾谷淡墨桜」は、「淡墨」と書いて「うすずみ」と読み、時期によって花の色が白からピンク、淡墨色へと変化していく珍しい桜です。
樹齢も推定1,500年以上といわれており、ほかの三大桜に引けを取らない高さや枝ぶりを誇っています。
見ごろは4月初旬頃で、淡墨桜近くにある「淡墨公園」に咲く多くのソメイヨシノも同じ時期に開花を迎えます。

【所在地】
岐阜県本巣市根尾板所字上段995

【アクセス情報】
養老鉄道樽見駅 徒歩約15分

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まとめ

本日は以下について解説しました

  • 「桜」と言う名前の由来→木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の名前、民俗学では「穀神」
  • 「桜」はいつから広まったのか?→平安時代に「梅」から「桜」に変化した
  • なぜ「花見」をするのか?→「花狩り(はながり)」と呼ばれ、花の霊力を身にまとうのが本来の意味
  • 大掛かりな「花見」→豊臣秀吉による「吉野の花見」により宴会行事として定着
  • 庶民の「桜」になる→江戸時代の8代将軍吉宗により桜の名所を江戸の各地に
  • その後の「桜」→桜は日本人の心の象徴とされるようになりました
  • 「ソメイヨシノ」により日本全国へ→染井村の吉野の桜が名前の由来
  • 「日本三大桜」→「福島県の三春滝桜」「山梨県の山高神代桜」「岐阜県の根尾谷薄墨桜」

春の一時期だけしか見られない。
にもかかわらず、日本人にとってこの上なく大きな意味をもつ桜。
それは人々の心に寄り添い支えてきた日本人の記憶の継承にあるのかもしれません。

本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。

 

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