広島から世界へ!Apple(アップル)も魅了した老舗家具メーカーとは?

COLUMN(コラム)
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おはようございます

広島には、こんな素晴らしい企業があるんだよシリーズ第2弾です。

▽第1弾は下記になります▽

今回ご紹介する企業は、「株式会社 マルニ木工」です。
あなたはご存知でしょか?
マルニ木工は木製家具の製造・販売で世界中から高い評価をいただいている木工家具メーカーです。
「世界の定番」として愛されております。

具体的には、

Appleの新本社ビルを中心とする施設「アップルパーク」

画像出典:https://www.apple.com/

ノルウェーにあるオスロ国際空港

別所温泉にある旅館 花屋

その他にも世界中にマルニ木工の家具は納品させれております。
詳しくはホームページでもチェックできます。

ではなぜ世界中の企業やレストランを始め、ホテルや美術館などなど。
「マルニ木工」の家具を愛するのでしょうか?

今日はその魅力を探っていこうと思います。

マルニ木工について


画像出典:https://vanilla-kagu.com/c/special/allabout-maruni60

広島県といえば府中が家具の名産地として有名ですが、府中から少し離れた宮島では「宮島細工」という伝統工芸があります。
古くは江戸の終わり頃、厳島神社建立のために京都などから宮大工や指物師が集い、その技術からロクロ加工や彫刻などの技術が発展し宮島細工となりました。

そんな伝統工芸「宮島細工」の息づく宮島に拠点を置くのが、今回ご紹介する「マルニ木工」です。
曲木や彫刻など工芸技術を工業化することで発展してきた木製家具の老舗メーカーの一つとして知られ、クラシックなテイストのアイテムから、デザイナーとのコラボによるミニマルなモダンスタイルのアイテムまで扱い、木材の質感や質の良いクオリティなどで人気となっています。

創業者の山中武夫さんは、独学で機械や家具づくりの勉強を重ね、マルニ木工の真髄である「工芸の工業化」を打ち立てたました。
職人が手作業で一つひとつ作るような工芸品を機械で量産できれば、より多くの人にハイクオリティーの家具を安価でお届けすることができます。

こうして創業年である昭和3(1928)年に誕生した「曲木椅子(銀行椅子)」を皮切りに、角椅子と総称された「38号(別名サンパチ)」、国鉄に多く納められた「113号(鉄道回転)」など、次々とヒット商品を生み出しました。

▽1928 年に誕生した「曲木椅子(銀行椅子)」▽


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

戦争が始まると、多くの技術力のある家具メーカーがそうであったように、マルニ木工もまた軍需品の製造へと駆り出されることとなります。
高い技術力を持っていたマルニは、戦闘機の尾翼や燃料タンクの製造などを手掛けることになりました。
男は戦地へ赴き不在だったため、学徒動員で来ていた女学生が製作にあたっていたそうです。
当時の記録に人々の心情までは記されていませんが、「お国のために」と、ただただ一生懸命に取り組んでいたのでしょう。
8月6日の原爆投下時は、会社が木材港のある広島県廿日市に位置していたため、かろうじて原爆の被害から逃れることができました。
また、この頃、設計の正確性や強度が求められる尾翼や燃料タンクの製造を手掛けたことで、当社の技術は格段に飛躍したといわれています 。

▽燃料タンクである木製の落下増槽。皮肉にも高い技術力は戦争にも使われた▽


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

その後、戦後の大きく変化していく日本人のライフスタイルに合わせ、マルニ木工は洋家具作りを行っていくことになります。

昭和後期にかけて応接室やリビングといった西洋式のライフスタイルが定着していく中、現在のマルニ木工のトラディショナルシリーズに分類されるような、欧米風のクラシック家具シリーズが多く生み出されました。それまで、職人の手によって一つ一つ作られていた彫刻入りの高級家具作りを工業化に成功したことも、戦後のマルニ木工を躍進させました。

▽デッキチェア「オアシス」▽


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

そんなマルニが転換期を迎えることになったのが、1990年代後半から2000年代のこと。
バブル崩壊の経済不況と、人々の家具需要の変化も相まってマルニ木工は何度もピンチを迎えることになりますが、起死回生の手段は、外部デザイナーとのプロジェクトにありました。
元々の高い技術力に、「深澤直人さん」をはじめとしたデザイナーによるデザインを取り込むことで、シンプルかつモダンで高品質な木工家具ブランドとしての立ち位置を築き上げることに成功します。
「100年後も定番として愛される家具」を作ることを目指し、日本独自の木製家具への美意識を世界へと発信する家具ブランドとして、現在も家具作りに励み続けており、その根底には創業当時から続く「工芸の工業化」という一貫した姿勢がブランドを支え続けているのではないでしょうか。

▽ロサンゼルスのウェストハリウッドエリアにある店舗「Blue Bottle Coffee Beverly Grove」 ▽


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

参考文献:https://www.maruni.com/jp/company/history
参考文献:https://hiroshimaforpeace.com/long-established-maruni-wood-industry/
参考文献:https://hellointerior.jp/note/post-23779/

代表モデルの1つ「HIROSHIMA」について


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

「HIROSHIMA」シリーズの椅子が国内外で脚光を浴びています。
バブル崩壊後に経営難に陥ったが、創業家出身の山中武会長が再起をかけて著名なプロダクトデザイナーの深沢直人さんと組んで製品化しました。

HIROSHIMAの発売は2008年。
従業員らは「最初は作るのが嫌でたまらなかった」と明かします。
手作業で仕上げる職人泣かせのデザインのため、設計図通りのカーブを描いているか1センチごとに測り、狂いがあれば何度でも差し戻していた。

当初は機械加工の一工程に一時間近くかかっていたところを20分に短縮。
習熟度が向上するにつれ、職人たちもさっと手でなでるだけで設計図通りか確認できるようになった。
最初は月40脚だった生産能力は、10年で800脚にまで高まった。


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

会長の山中武氏は当時、東京で銀行員として不良債権処理を担当していた。
2001年、社長のおじに請われて経営のバトンを受け取ることになったが、入社直前に「取引先の金融機関に再建計画を作れと言われている」と打ち明けられ、がくぜんとしたという。
自分が銀行員として取引先に告げていたのと同じ言葉だったからだ。

入社後、ピーク時に11カ所あった工場の集約を進めた。
トヨタ生産方式を導入するなど効率化にも取り組んだ。
「利益第一主義」「無借金をめざす」との目標を掲げ、リストラにまい進したが、売り上げの減少に歯止めがきかず、思うように業績は回復しない。
家具のデザインも作業効率が優先された。

「川上であるデザインが変わらなければ、会社は変わらない」。
そう考えた山中氏は04年、12組のデザイナーに「日本の美意識」というテーマでの椅子の作成を依頼。
そのうちの1人が、auの携帯電話「インフォバー」などのデザインで知られる深沢直人さんだった。

深沢直人さんに協業を打診したのが06年の冬。
深沢氏はマルニ木工の工場を見学し、加工技術の高さに目を見張った。
「世界の定番を作りましょう」と快諾した。

もっとも深沢直人さんのデザインは定番とは言えない高度な技術を要するものだった。
山中氏と従業員たちは「デザイナーの要望に『できない』と言わない」と事前に決めていた。
例えばそれまでは作業効率を優先し半径3ミリメートルまでしかできないとされていたカーブの加工で、深沢直人さんが要求したのは半径1.5ミリ。
機械で磨けないため、手で磨いた。


画像出典:https://www.goodspress.jp/features/219935/2/

現場は逃げなかった。それだけではない。
深沢直人さんが描いたデザインどおりに作っただけでなく、木材を使い分けて木目を美しく演出してみせるなど、付加価値を加えた。

深沢直人さんはこう言い切る。

「我々の椅子がデザインの最高峰を集めたアップルの社屋で選ばれたのは必然だ」

HIROSHIMAの発売以降、マルニ木工の減収に歯止めがかかった。
商流が変化し、伊勢丹新宿店など百貨店、住宅メーカー経由や商業施設向けの販売が増えた。
売上高の構成も一変。
以前はゼロだった海外販売が全体の1割を越えた。
デザインの祭典であるミラノサローネでも、世界のトップブランドが集まる施設での出展が認められるようになった。

現在は国内外で多くの発注があり、マルニコレクションは同社の売り上げの35%を占めるまでに成長した。
日本の家具は海外で通用しないという定説を覆す、日本の職人技なくしては作れない家具なのだ。

▽オーストラリアのホテル「Pier One Sydney Harbour」▽


画像出典:https://hiroshimaforpeace.com/

参考文献:https://www.goodspress.jp/
参考文献:https://www.nikkei.com/

 

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今後の「マルニ木工」について

Curiosityさんの現山中洋社長のインタビュー記事より。
今後の「マルニ木工」の成長性を見て終わりにしようと思う。


画像出典:https://r100tokyo.com/curiosity/

2021年に社長に就任した山中さんは、2つの目標を掲げている。
ひとつは従業員の待遇の改善
Appleのような企業に製品が選ばれる企業なのだから、それに見合うように環境や条件を向上させるということだ。
もうひとつは海外でマルニ木工というブランドを確立すること
現在、その製品は世界30カ国63店舗で展開され、美術館、空港、公共施設などにも多数採用されている。
日本の家具ブランドとしては例のない成功を収めたが、世界的に見ればまだできることは多い。

「日本の木製家具の輸入額は2500億円ほどありますが、輸出は約39億円なので輸入額と比べるとほぼ0%です。理由は明確で、今まで誰も本気で海外に日本の家具を輸出しようとしなかったから。ミラノ出展を10年以上続けてインフラが整ってきたので、自分たちが先駆けて次のレベルに進みたい。同時に、そのインフラを活用しながら、同じ志をもつ国内のメーカーと協力しあってムーブメントを起こすことも構想しています」

木材は、生態系を壊さない限り、永遠に使い続けられる素材だ。
世界的な認証制度をクリアした素材を主に用いるマルニ木工は、今後は国産材の有効利用も視野に入れ、木の家具を手がけていくという。
深澤直人さんやジャスパー・モリソンさんによる家具を通して、工芸の工業化というコンセプトを世界に伝えることはできる。
次は日本発のブランドとして世界観を確立し、より豊かな感性を訴えるフェーズに入っていくのだろう。
歴史を経てきたものづくりは、そのための何より心強いよりどころだ。

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まとめ

本日は以下について解説しました

  • マルニ木工について→広島が誇る世界の家具メーカー
  • 代表モデルの1つ「HIROSHIMA」について→プロダクトデザイナーの深沢直人さんとタッグを組んで生まれた代表作
  • 今後の展望について→従業員の待遇の改善、海外でマルニ木工というブランドを確立すること

「世界の定番」として今後も愛されるマルニ木工。
広島にこんな魅力的な企業がいる事をあなたにも知ってほしいですね。

そんなきっかけになれば嬉しいです。

本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。

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