
おはようございます。モウリです
先日、奈良県にございます『信貴山朝護孫子寺(しぎさん ちょうごそんしじ)』を訪れました。
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行った事ありますか?
院内中、虎がお迎えしてくれる虎のお寺として有名です。
もちろん虎以外にも様々なご利益のある仏像や。
歴史深いお寺など見所満載です。
実は僕はあまり調べずに行ったがために、何故これがあるのか?
ここはどう行った意味なのか?
知らずに進んだため、疑問が残っていました。
のちに調べてなるほど!だからこうなのか!と納得する部分も多くありました。
そこで事前に少し調べておくだけで、楽しさは倍増します。
奈良観光に一度は訪れて見てはいかがでしょうか?
信貴山朝護孫子寺について
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。
出典元:信貴山朝護孫子寺
聖徳太子ゆかりの地ですね。
今から1400年程前、聖徳太子が物部守屋の討伐の際にこの山を訪れて戦勝の祈願をすると、天空に毘沙門天王が現れ、必勝の秘法を授かりました。
その後、見事勝利した太子は、自ら天王のお姿を彫刻し伽藍を建て、信ずべき貴ぶべき山として『信貴山』と名付けました。
ちょうど毘沙門天が現れたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったため、寅が信仰されるようになったようです。
さらに醍醐天皇の時代(910年)、天皇の病気回復を命蓮上人(みょうれんしょうにん)が毘沙門天王に祈願すると、 たちまち全快されたことから、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として『朝護孫子寺』と呼ばれるようになりました。
庶民信仰の寺として人々からは『信貴山寺』と親しまれています。

約1400年。太子が「寅の年、寅の日、寅の刻」に現れた毘沙門天を感得し祀ったのが信貴山の起こりです。その故事から、信貴山では毘沙門天に寅の縁日にお参りすると、太子にあやかって良いご利益を授かると昔から信仰を集めてきました。「寅」がシンボルとなったのも、この言い伝えが始まりなのですね。
さらに「信貴山朝護孫子寺」は、587年聖徳太子によって創建されました。
古い!!
標高437mの信貴山の中腹に位置し、商売繁盛、福徳開運の毘沙門天王をお祀りしています。
広い境内には本堂、護摩堂、三重塔など数十棟のお堂が立ち並び、「世界一福寅」をはじめ、シンボルである寅があちこちで見られます。
△聖徳太子像△
信貴山朝護孫子寺の見所
これはたくさんあります。
まず信貴山広すぎる!
今回行かなかったのですが、『信貴山城』と言うお城の跡もあります。
山の頂まで続いておりますが、8月の猛暑のため今回は本堂付近を観光しました。
駐車場から入ったため、鳥居から入りました。
この鳥居も古いものと思われます。
実は別のルートがありまして、もし行かれる際はそちらから入ると良いと思います。
画像出典:奈良県庁
『開運橋』という橋なのですが。
「上路カンチレバー橋」という構造の橋では現存する中で日本最古で、鉄骨を組み合わせた「トレッスル橋脚」も珍しく、貴重な橋です。
平成19年には国の登録有形文化財に指定された橋です。
渡るだけでご利益がありそうな名前ですね。
世界一福寅
まず1つ目が、『世界一福寅』です。
鳥居をくぐってすぐにデカデカと見えてきます。
張り子の寅「世界一福寅」は信貴山の縁起もん。
ゆらゆらと首を振る姿から「よく首が回る(何事にも不自由しない)」というご利益が。
また、阪神タイガースファンが必勝祈願に訪れることでも有名です。
剱鎧護法堂(けんがいごほうどう)
画像出典:信貴山大本山千手院
往古、毘沙門天王を信ずる者には、八大龍王の上首・難陀竜王(なんだりゅうおう)と人間を災厄から守護する護法・剱鎧童子(けんがいどうじ)が守護をすると言われています。
国宝「信貴山縁起絵巻」中巻「延喜加持之巻(えんぎかじのまき)」で描かれた醍醐天皇の重病、命蓮上人による病気平癒の加持祈祷の物語には剱鎧童子は現れます。命蓮の加持満願の日、童子が天皇の枕元に出現して霊感を授けると、たちまち天皇の病は癒されました。
これにちなんで剱鎧護法を当病平癒の守り本尊として祀り、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として、人々に篤く信仰されています。
剱鎧堂の周りを巡ってお百度を踏み、病気平癒の祈願をします。お唱え「南無剱鎧護法(なむげんがいごーほー)」と唱えて拝みます。
出典元:信貴山大本山千手院
実は今回の旅では行けていないのですが、有名な場所です。
一度行っておくと良いと思います。
画像出典:信貴山大本山千手院
道中は、このような赤い鳥居がいくつも連なっております。
インスタ映えスポットかもね。
醍醐天皇が重い病気にかかられ、命蓮上人が毘沙門天王に祈願された折、剱鎧護法の使者が枕元に現れて治癒されたことから、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として信仰されています。
画像出典:信貴山大本山千手院
大本山千手院
画像出典:じゃらん
6世紀半ば、聖徳太子が「信ずべし、貴ぶべき山」の信貴山と称してこの地に堂宇を建立してから、平安期後期に千手院護摩堂が中興の祖・命蓮上人に開かれました。その後、天正五年(1572)、松永久秀の兵火で信貴山の堂塔六十余宇が炎上した時、本尊の毘沙門天像を守ったのは千手院の僧・快信上人です。「千手院代々記」によれば、快信は本堂の焼け跡に仮堂を建てて本尊を安置。さらに信貴山千手院を再建したと伝えられます。
ゆえに当山の開祖は「聖徳太子」、中興開山は「命蓮上人」、中興元祖は大阿闍梨「快信上人」となります。
大本山千手院は信貴山内で最古、由緒ある塔頭(たっちゅう)寺院です。塔頭形式とは、一つの本堂を多くのお寺(子院)が兼用する寺院形式をいいます。
なかでも千手院は代々の信貴山寺の住職の住坊で、その弟子が玉蔵院、成福院の各塔頭に派遣されていました。そのさまは「信貴山雑記」において「千手院は信貴山の総本家なり」と記されています。快信上人から数えて第6世・快誉の弟子、覚如が玉蔵院初代住職となり、第10世・快清の弟子、快栄は成福院を復興しました。
また、第17世・真弘は信貴山真言宗初、後七日御修法の大阿闍梨を勤め真言宗長者になり、第18世・現貫主の真瑞は、信貴山真言宗前管長・朝護孫子寺前法主です。
護摩堂は毘沙門天王、観音堂は十一面観音、銭亀堂は銭亀善神、大悲閣は千手観音をお祀りしてます。今日まで欠かさず毘沙門護摩の秘法が厳修されています。
信貴山千手院は大般若祈祷と毘沙門護摩を修し、毘沙門天王への様々なお願いごとをお祈りする根本道場であり、参拝者が泊まれる山内最古の宿坊です。
出典元:信貴山大本山千手院
山千手院だけでも、見る所がたくさんあります。
山内では最古のお寺で、住職の住坊とされてきました。
『護摩堂』は命蓮上人が1000年前に開壇され、以来、毎日護摩が焚かれ福徳開運の祈願が行われています。
また院内の『銭亀堂』では、 “銭亀さん”の愛称で親しまれる金運を呼ぶ神、銭亀善神をお祀りしています。
商売繁昌や金運招福を祈願される方が絶えません。
護摩堂
画像出典:信貴山大本山千手院
まずは、護摩堂。
信貴山千手院の護摩堂では、命蓮上人の開壇以来1100年間、毎朝欠かさず毘沙門護摩が修されています。この永きに渡り代々続いてきた護摩は千手院だけの伝統です。そのため信貴山では「護摩の千手院」と呼ばれています。商売繁盛、開運厄除、心願成就 諸魔退散 方位除災など霊験あらたかです。
出典元:信貴山大本山千手院
三寅の福 胎内くぐり
画像出典:信貴山大本山千手院
父寅、母寅、子寅が一体となっているトンネルで、ここをくぐれば三寅の福に与うることが出来ます。
足元には四国八十八ヶ所のお砂踏みになっており、途中には毘沙門天王がお持ちの宝の源泉である如意宝珠がお祀りされています。
出典元:信貴山大本山千手院
画像出典:信貴山大本山千手院
画像出典:信貴山大本山千手院
虎の顔と、入ってからの不気味な雰囲気が怖いですが。
その後の『如意宝珠』が神々しく感じます。
金運招福 銭亀善神
銭亀堂は日本で唯一の金運招福の神、毘沙門天王の御使い“銭亀善神®”をお祀りしています。
千手院貫主が山岳練行の大峯山にて瞑想の折、その霊夢の中に黄金の甲羅の亀の背に乗った貴神が顕現し、「吾れ、諸人の求不得苦(ぐふとっく:求めて得られぬ苦しみ)を安んじる善神なり。帰依する者、必ず証得せん。」「自分が求めて得られぬ苦しみが軽くなる、今まで滞っていたものが廻り出す」とお示しになりました。そこで銭亀善神を勧請したのが銭亀堂です。
出典元:信貴山大本山千手院
画像出典:信貴山大本山千手院
銭亀善神は金運を運ぶ神として人気が高く、たくさんの方が願掛けに訪れます。願掛けとは、銭亀善神に御自身の求不得苦、金運・出世・商売繁盛など自分の願いを真摯に祈願することです。
授与所で”金運招福銭亀御守”と”壱億円札”が入った銭亀御守を授かり、このセットと財布を石臼にのせて「南無銭亀善神(なむぜにがめぜんじん)」と念じながら、石臼を右に廻します。 すると金運のまわりが良くなって、大変なご利益があります。(壱億円札と銭亀御守は、銭亀善神奉信会にご入会頂いた方(入・年会費3,000円)にのみご郵送しております)
また、金運だけでなく学業運や健康運についても、たくさんのご功徳をいただいております。
- 業績の振るわなかった会社の収益が持ち直し、ほどなく収益が大幅に増加。
- お参りの二ヶ月後宝くじに当せんし、借金の返済が叶った。
- 入社試験、資格試験を無事パスできた。
- 脳内血栓症で倒れた夫が四ヶ月で全快した。
ここは結構有名な場所ですよね?
行っておけば良かったと後悔しておりますが、また今度来ようと思います。
ちなみに8月の猛暑日に参拝に行くと、かなりキツイので。
気温が良い日にちを選びのをお勧めします(笑)
虎ポスト
令和3年の12月に、信貴山朝護孫子寺成福院前の郵便ポストを黄色い虎模様に塗り替えました。
丸形ポストは1951年に設置され、元は赤色。
塗装し直したポストの上には寺の鈴木貴晶管長の提案で、信貴山の「大寅」をモチーフにした白虎の置物が載せられました。
「玉蔵院」
鎌倉時代、覚鑁(かくばん)上人がこの山で毘沙門天王から如意宝珠を与えられたことから『玉蔵院』と呼ばれるようになりました。院内には“融通さん”と呼ばれる如意融通尊をお祀りした『融通堂』、護摩祈祷が行われる『浴油堂』高さ14.5mもの『日本一大地蔵』のほか、約250人まで宿泊できる『富貴閣』や茶室『古厘庵』があります。
出典元:奈良しあわせ散歩
この院内の中も様々な観光スポットがあります。
一緒に見ていきましょう♪
浴油堂
画像出典:信貴山大本山玉蔵院
秘仏双身毘沙門天をお祀りし、真言密教の最秘法とされる毘沙門様の浴油を修法(拝む)されるお堂です。毎日護摩祈祷が厳修され、春と秋には浴油祈祷が行われます。堂内には 出世毘沙門天(刀八毘沙門天)八臂弁財天 三面大黒天もお祀りしております。
出典元:信貴山大本山玉蔵院
融通堂
画像出典:信貴山大本山玉蔵院
平安時代覚鑁上人により蔵められ玉蔵院の寺号の由来ともなった如意宝珠。宝生如来を象徴する宝珠で本尊毘沙門天像の右手の宝棒の先にも安置されています。どんな願いでも融通いただけるありがたい宝珠がこのお堂のご本尊です。
出典元:信貴山大本山玉蔵院
大地蔵尊
総丈14.54mに及ぶ大地蔵菩薩です。子宝・安産・子育て霊験あらたかなお地蔵さまです。夏には地蔵盆供養が開かれます。
出典元:信貴山大本山玉蔵院
三重塔霊明殿
画像出典:信貴山大本山玉蔵院
大和十三仏霊場 第11番札所 七回忌の御本尊 阿閦如来様をお祀りしています。御廻向(供養)をいたします。
出典元:信貴山大本山玉蔵院
縁結び観音
画像出典:信貴山大本山玉蔵院
恋愛のご縁、お仕事のご縁、人とのご縁。様々なご縁を結んでくださる観音様。この観音様の手を擦りながら祈願するとご縁を授かります。
出典元:信貴山大本山玉蔵院
成福院
画像出典:山のぽっけNAVI
信貴山大本山成福院は信貴山総本山朝護孫子寺の塔頭寺院です。信貴山は587年(用明2年)聖徳太子により開山され、塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています。なお、中興開山と云われる命蓮上人は902年(延喜2年)に醍醐天皇から朝護孫子寺の勅号を賜っています。信貴山の宗派は信貴山真言宗で、1951年(昭和26年)に高野山真言宗より独立し創立されました。
成福院は広大な信貴山においてその中心部に位置し、赤門から本坊側参道を道なりに向かって進めば、すぐに朱色に塗られた「融通殿」と屋根の曲線美が印象的な「成福院信徒会館」が目に飛び込むことでしょう。「融通殿」では融通まつりや八千枚護摩供など成福院の年中行事の多くが執り行われ、日々の本堂(朝護孫子寺本堂)における御祈祷(大般若祈祷)の後には必ず、当院独自の祈祷を「融通殿」において執り行っております。
出典元:大本山成福院
成福院は、信貴山真言宗の大本山で、信貴山内の中心に位置し、歴史伝統ある信貴山において近代的なセンスを兼ね備えた宿坊寺院。
「融通殿」には、後嵯峨天皇が御念持仏とされていた、願いを意のままに叶えて頂ける「如意宝珠」(如意融通宝生尊)をお祀りしている。
日頃口にする、「融通がつく」「融通がきく」というのは、この融通尊(如意融通宝生尊)から由来しています。
この場所は僕も訪れました。
ちなみに金色の虎がここにはいます。
融通殿
画像出典:大本山成福院
信貴山大本山成福院は信貴山総本山朝護孫子寺の塔頭寺院です。信貴山は587年(用明2年)聖徳太子により開山され、塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています。なお、中興開山と云われる命蓮上人は902年(延喜2年)に醍醐天皇から朝護孫子寺の勅号を賜っています。信貴山の宗派は信貴山真言宗で、1951年(昭和26年)に高野山真言宗より独立し創立されました。
成福院は広大な信貴山においてその中心部に位置し、赤門から本坊側参道を道なりに向かって進めば、すぐに朱色に塗られた「融通殿」と屋根の曲線美が印象的な「成福院信徒会館」が目に飛び込むことでしょう。「融通殿」では融通まつりや八千枚護摩供など成福院の年中行事の多くが執り行われ、日々の本堂(朝護孫子寺本堂)における御祈祷(大般若祈祷)の後には必ず、当院独自の祈祷を「融通殿」において執り行っております。
出典元:大本山成福院
画像出典:大本山成福院
私たちが日頃「融通がつく」とか「融通がきいた」と申しますのは、この如意融通尊(如意融通宝生尊)から由来されております。成福院の融通さまは、後嵯峨天皇(1220~1272)の御念持佛を下賜されたもので、至心に念ずればいかなる願いも叶えてくださると伝えられています。
成福院の融通さま、後嵯峨天皇の御念持佛を下賜されたもので、至心に念ずればいかなる願いも叶えてくださいます。
『金運隆昌を融通』
『勝運勝利を融通』
『智慧学力を融通』
『人徳愛嬌を融通』
『良縁合縁を融通』
『子宝安産を融通』
『息災延命を融通』
出典元:大本山成福院
災転招福大黒天
画像出典:大本山成福院
成福院「融通殿」正面右側に安置されております。五穀豊穣の守護神として知られております大黒さまは財運、縁結びのご利益がございます。成福院大黒天は降りかかる災いを福に転ずると伝えられ、「災転招福大黒天」と敬称されております。
出典元:大本山成福院
画像出典:大本山成福院
災いを福に転じていただける、大黒さまの「七福融通小槌(なで小槌)」です。小槌を撫でながら大黒天の御真言「オン・マカキャラヤ・ソワカ」と七返唱え、小槌を撫でられた手を頭と胸にお当てください。信心深ければ、心身に降りかかる災いを祓い、転じて福運を招いてくださいます。
出典元:大本山成福院
ちなみに、この大黒様の隣に七福神もおりました。
本堂
画像出典:信貴山朝護孫子寺
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。
出典元:信貴山朝護孫子寺
織田信長の攻略で焼失後、文禄年中(1592)に豊臣秀吉により再建されたと伝えられています。
その後昭和26年に火災で全焼、33年に新たに建て直され現在に至っています。
舞台からは大和平野が一望できる素晴らしい眺めを楽しむことができます。
本堂には、ご本尊の毘沙門天王像を中心に、右に吉祥天像、左に善膩師童子像が安置されています。
父・母・子の絆を大切に、家族円満を願う象徴とされています。
毘沙門天王は、七福神の中でも商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就の徳を最も厚く授けてくださる福の神様です。
右手に如意宝珠の棒、左手に宝塔を持ち、心を強く持って何事も我慢強く行えば福徳を授けるというお姿を表しています。
ぜひご拝観ください。
画像出典:信貴山朝護孫子寺
もし参拝後ご飯でも食べようかな?って考えているなら少し市街地に行く必要があります。
若干蕎麦屋なども近くにはありますので。
気になる方は食べログなどでチェックして見てください♪

山の上なので景色も良好です。
あとは、宿泊者限定のお散歩ナイトウォークが良いですね。
夜の信貴山を観光できます♪
まとめ
本日は以下について解説いたしました。
- 信貴山朝護孫子寺について→聖徳太子ゆかりの地。商売繁盛、福徳開運の毘沙門天王をお祀りしています。
- 信貴山朝護孫子寺の見所→たくさんありますが、一番は本堂!ここは行くべきです。
- 信貴山朝護孫子寺のアクセスと注意点→車で行ったほうが楽です。あとはご飯屋があまりないです。
本日は、信貴山朝護孫子寺について解説いたしました。
とにかく至る所に虎がいます。
虎が脳裏から離れなくなります(笑)
ならは観光スポットが多くありますね♪
これからも沢山観光していこうと思います。
本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
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