銭湯と温泉の歴史は少し違った!銭湯が現代に到るまで

COLUMN(コラム)
画像出典:東京銭湯
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おはようございます。モウリです

あなたは”温泉”や”銭湯”はお好きですか?
僕は大好きで家の近くにあった当初は毎週通ってました。
最近はコロナの影響もあって爆の周りにはどんどん姿を消しつつある”銭湯”。

しかしながら、旅先や実家に帰省などすると必ずと言って良い程”銭湯”に足を運びます。
ここでふとと思ったことが
『銭湯ってどうやってできたんやろ?』
そこで調べてみると面白い事が判明しました。

温泉の歴史と違って銭湯は江戸時代前後で現在の文化が作られました。
そこで本日は

  • ”銭湯”と”温泉”の発祥の違い
  • ”銭湯”はどのようにして現代の形になったのか?
  • 昔は混浴が当たり前だった?
  • ”銭湯”独自の職業があった?
  • なんで”銭湯”の壁は富士山の絵が飾られているのか?
  • ”銭湯”にはなぜ番台がいるのか?

などなど。

”銭湯”にまつわる面白い歴史がたくさん知れるようになります。
最近ではサウナブームもあり。
銭湯に足を運ぶ人も増えたのではないでしょうか?

当たり前に使用している銭湯も。
歴史を知ればもっと面白くなりますよ。

是非最後までご覧いただければと思います。

温泉と銭湯の発祥の違いについて

温泉は、見つけられた。銭湯は宗教の側面から
まず温泉の発祥から説明していこうと思います。
「古事記」や「日本書紀」などに温泉による記述が残されております。
また、各地で編纂された「風土記」にも温泉の記述が見られるものがあります。
当時、政治の中心が奈良や京都にあったことから、道後(愛媛)、有馬(兵庫)、白浜(和歌山)、玉造(島根)など西日本の温泉に片寄ってみられます。

三古温泉のなかでも最も古いと思われているのが、「伊予国風土記(いよのくにふどき)」に記されている道後温泉です。
記述によると、大穴持命(おおなむちのみこと)と宿奈毘古那命(すくなびこなのみこと)が伊予国にやってきた際に、宿奈毘古那命は急に体調をくずします。
命を救うために大穴持命が身体の小さい宿奈毘古那命を「しばらく寝ちゃったな」と言って石の上に立って辺りを見回したとのこと。
その時の石は「玉の石」と呼ばれ、現在も道後温泉におかれています。
これが、日本の文献の中で最も古い時期と思われる温泉の記述です。

ちなみに、大国主には多くに神名があり、伊予国風土記で大穴持命は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」、宿奈毘古那命は「少彦名命(すくなびことのみこと)」と表記されています。

大国主命と少彦名のコンビは出雲国で玉造(たまつくり)温泉を発見し、有馬を訪れた際には、傷ついた3羽のカラスが泉で傷を癒しているのを見て、温泉をまた発見。
少彦名命は箱根元湯を発見したという話も伝わっています。
そんなことから、大国主命と少彦名命のコンビは、温泉とかかわり深い神として崇められ、前述の温泉のほか、白浜温泉や大分県・別府温泉や栃木県・鬼怒川温泉の温泉神社の祭神として祀られています

ちなみに『有馬温泉』については過去にご紹介しております。
観光スポットなどおすすめポイントも解説しておりますので参考にして見てください♩

一方銭湯についてです。

「入浴」の概念自体が広まったのは、6世紀に中国から仏教と共に伝わってきたのがきっかけだと言われています。
仏教において、風呂に入ることは「七病を除き、七福が得られる行為」と説かれていたため、当時から既に入浴は健康に良い行為だと解釈されていました。

それ以来、寺院には「心と体の垢を落とす」という大切な修行を行うための空間として浴堂が備えられるようになりました。
また、奈良時代以降は貧しい人々に向けて寺院の浴堂を開放する「施浴(せよく)」がさかんに行われるようになり、庶民に入浴の良さが広まるきっかけとなりました。


画像出典:施浴

「温室教」という沐浴の功徳を説いた経文もあります。
それには、入浴に必要な七物(燃火(ねんか)、浄水、澡豆(そうず)、蘇膏(そこう)、淳灰(じゅんかい)、楊枝(ようじ)、内衣(ないい))を整えると七病を除去し、七福が得られると記されています。

寺院では七堂伽藍の1つに浴堂を数え、施浴が盛んに行なわれました。
奈良の東大寺や法華寺には、今でも大湯屋や浴堂が残っており、当時の名残りをとどめています。
家々には浴室がなく、町湯もなかった時代、寺院の施浴は宗教的な意味だけでなく、庶民にとって、うれしい施しであったわけです。
施浴によって、庶民が入浴の楽しみを知ったためでしょうか、平安時代の末には京都に銭湯のはしりともいえる「湯屋」が登場します。

”銭湯”はどのようにして現代の形になったのか?

現在の原型になったのは江戸時代

平安・鎌倉時代から存在していた銭湯ですが、日常的に使われる施設として最も発展したのは江戸時代のことです。
文献で確認できる江戸の町における銭湯文化は、1591年に現在の東京都千代田区に建てられた「せんとう風呂」というお店が発祥なのだそうです。

このお店が江戸に住む人々に好評を博し、ほかにもどんどん銭湯が作られていくきっかけになったとされています。
それから10年ほど経つころには、江戸では町ごとにひとつは銭湯があったというのですから、どれほど人気だったかがわかります。

さらに時代を下って1810年ごろになると、江戸全体で銭湯の数は500軒以上あったのだとか。
このころには銭湯の利用が誰にとっても日常であったことがうかがえますね。

江戸最初の銭湯は蒸し風呂だったと考えられていますが、やがて蒸し風呂の一種「戸棚風呂」が登場しました。
浴槽の底に膝をひたす程度に湯を入れ、下半身をひたし、上半身は湯気で蒸す仕組みです。
そして、浴室の出入口に引違い戸を付け、湯気のもれるのを防ぎました。
ところが、開閉が激しいと湯気が逃げてしまうので、工夫されたのが「石榴(ざくろ)口」です。


画像出典:石榴口の入り口

これは、三方はめ板で囲まれた小室に浴槽を置き、出入口に天井から低く板をさげ、湯気の逃げるのを防ぎました。
浴客たちはこの板をくぐり出入りします。
ところで、柘榴口と呼ぶようになったのは江戸時代特有の言葉遊びです。
当時は鏡を磨くのに柘榴の実を使ったので“かがんで風呂に入る(屈(かが)み入る)”を、“鏡鋳(かがみい)る”としゃれ、「石榴ロ」となったとか……。

また、現在のようにたっぷりの湯に首までつかる「据(すえ)風呂」ができたのも、慶長年間の末頃。
据風呂は蒸気ではなく、湯の風呂だったことから「水(すい)風呂」とも呼ばれ、一般の庶民の家庭に広まります。

当初は湯を桶に入れるくみ込み式でしたが、のちに、桶の中に鉄の筒を入れて、下で火をたく方法が発明されます。
これは「鉄砲風呂」といい、江戸で広まります。
一方、桶の底に平釜をつけ、湯をわかす「五右衛門風呂」は関西に多かったようです。

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江戸時代の銭湯は混浴が一般的だった?!


画像出典:https://www.excite.co.jp/news/

江戸の銭湯は「入(い)り込(こ)み湯」といわれ、男女混浴でした。
これは江戸末期まで続きました。
もちろん男女で分ける銭湯もありました。
しかし関西ほど混浴の場所は多くなかったものの、混浴のお風呂が人気だったようです。

経営者側の視点でも、お風呂の設備がひとつで済むことからコストが安いというメリットがありました。
とはいえ、やはり風紀が乱れるということで幕府から混浴禁止令が出されたこともありましたが、守られることはほぼなかったといわれています。

そもそも江戸時代の銭湯は湯気を閉じ込めるために入り口も低く作られ、窓もない暗い部屋でしたので、混浴であってもさほど気になるものではなかったのかもしれません。

しかし、明治時代になると西洋の常識と照らし合わせて混浴は本格的に禁じられ、部屋の作りもより明るく開放的なものになりました。
こうして現在の銭湯に近い構造となったのは、実は意外にも明治以降のことです。

独自の職業が生まれ、銭湯は社交の場へ


画像出典:湯女風呂の様子

江戸時代の銭湯は朝から沸かして、タ方六つ(午後6時頃)の合図で終わります。
銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所でした。
やがて、銭湯で客に湯茶のサービスもするようになって、湯女(ゆな)が大活躍します。
というのは、この湯女たち、昼は客の背中を流していますが、タ方を境に、三味線を手に遊客をもてなします。あこの湯女風呂は、商家の旦那衆や若者たちの間で大評判になります。


画像出典:湯女と丹前

そんな中でも特に人気の高かったのが「丹前風呂」
堀丹後守の屋敷前にある銭湯というところから名付けられましたが、ここの「勝山」という湯女がたいへんな人気で、「丹前の湯はそのころ皆のぼせ」と川柳によまれたほどです。
また、このあたりに集まる男たちの風俗を称して「丹前風」と呼び、歌舞伎にまで取り上げられました。

こうして湯女風呂は栄える一方で、全盛期には吉原遊廓がさびれるほどのにぎわいだったといいます。

一方、幕府は風紀上の理由から、たびたび禁止令を出しますが、ほとんど効き目はない状態でした。
しかし、明暦3年(1657)、幕府は湯女風呂を徹底的に取り締まり、湯女600人を強制的に吉原へ送りました。こうして江戸の湯女風呂は廃止されました。

その後、銭湯は江戸庶民の憩いの場として親しまれました。
かつて湯女が客をもてなした2階の広間は浴客に開放され、茶を飲んだり菓子を食べたり、囲碁・将棋を楽しむ社交場として利用されるようになりました。

なぜ銭湯には富士山の絵が飾られているのか?


画像出典:https://thegate12.com/jp

銭湯の壁画にペンキ絵が描かれるようになったのは、1912年、大正元年のこと。
明治17年に現在の東京都千代田区に開業した銭湯「キカイ湯」が、大正元年の増築の際に、「子どもたちにも喜んでほしい」という思いから浴室の壁にペンキ絵を掲げたのが始まりです。

この時、作画を担当したのが、川越広四郎という画家。
静岡県出身であった彼が、故郷のシンボルでもある富士山の絵を描いたことが富士山壁画の最初だったといわれています。
形が美しく、裾野に向かって末広がりに線が伸びていく富士山は、昔も今も、良縁起のシンボル。
昔から山岳信仰の対象でもあり、人々に大切に崇められてきた存在でもあります。

そんな富士山の絵をキカイ湯の壁に描いたことにより、一気に有名となり、次第にほかの銭湯も壁画をマネをするようになった…というワケなんです。

富士山壁画を見られるのは関東周辺の銭湯が多数

キカイ湯を皮切りに、さまざまな銭湯の壁に描かれるようになった富士山ですが、実は、富士山の絵が描かれている銭湯の多くは関東圏に位置しています。

さまざまな考察ができますが、一番有力な理由は、関東圏に住んでいる人々の方が富士山との距離が近い分身近な存在であり、かつ信仰の対象としている人が多いから。
子どもの頃から富士山の姿を眺め、親しんできた関東圏の人々にとって、「お風呂のペンキ絵は富士山」というイメージがなじみやすかったのかもしれません。

そもそもペンキ絵のテーマやモチーフに決まりはありませんので、雄大な自然の姿を描くのも、七福神を描くのも、銭湯の自由。
銭湯の壁画は、いわばその銭湯の個性でもあるんです。

タイルはなぜ鯉が多いのか?


画像出典:https://www.nippon.com/ja/

東京の銭湯の中には、タイルに鯉の絵が描かれているケースが多い。

これは鯉が縁起のよい魚であることが関係しています。
絵としては他にタイル絵というものもあり、それらはほとんどが九谷焼きです。

それらの共通点は全て、入浴するために別に無くてもよいものである。
ではどうしてそこにお金をかけてこだわるのだろうか。
それは江戸っ子の見えっ張りで、派手好みという伝統かもしれない。
あえて視覚的遊びに凝ることにより、非日常的空間をつくり出し、心を癒やすための装置としての役割をさせているからだと考えられる。

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銭湯の番台の役割とは?


画像出典:https://www.nippon.com/ja/

番台については以下の役割があるとされております。

  1. 料金徴収、アメニティとドリンクの販売。
  2. 盗難防止の監視員としての治安維持の役割。
  3. 海水浴場のライフガードと同じく水難事故防止の救護員監視員としての役割。
  4. 家風呂が高度経済成長期に普及して既に半世紀が経ち入浴マナーを知らない日本人と外国人旅客が増えた事があり、入浴前の洗髪先身をせずに湯船に入る人に対する指導員としての役割。

先ず機能としての側面から見ると番台と言うのは危機管理の為に存在します。
そして家族経営なので従業員を雇っている様なSPAやスーパー銭湯の様な大組織ではありませんから一人で見張りをしながら更に別に裏で湯沸かしを担当する人がおり、家族経営にも関わらず既に人員が最低2人は割かれている事を把握する必要が有ります。
規模的にも従業員を雇用する経費は有りませんでした。

番台の高さが一番高いのは東京を中心とする地域で、平均1.3メートル程度

まとめ

本日は以下について解説しました。

  • 温泉と銭湯の発祥の違いについて→温泉は、見つけられた。銭湯は宗教の側面から
  • ”銭湯”はどのようにして現代の形になったのか?→現在の原型になったのは江戸時代
  • 江戸時代の銭湯は混浴が一般的だった?!→コスト面の観点から混浴が多かったし人気があった
  • 独自の職業が生まれ、銭湯は社交の場へ→湯女と言う職業が生まれ、1階は浴槽、2階は憩いの場へと発展した
  • なぜ銭湯には富士山の絵が飾られているのか?→「子どもたちにも喜んでほしい」という思いから
  • タイルはなぜ鯉が多いのか?→縁起が良いとされているから
  • 銭湯の番台の役割とは?→危機管理のための役割

”銭湯”1つとっても面白い歴史と文化で発展していったのがお分り頂けたでしょうか?

今回は”江戸”にファーカスしましたが。
関西はまた違った文化があったそうです。

銭湯は今でも大好きな日本人は多いですよね?
しかしながらここ最近、閉店が続き目に見る機会が少なくなっている印象です。
この日本独自の文化は、後世にも受け継がれていって欲しいと思いますし。
また繁盛して日本中に銭湯並びに温泉の施設が増える事を祈っています。

ちなみに全国の銭湯情報についてはコチラでもご確認いただけます。
参考にして見てください♩


画像出典:https://www.1010.or.jp/

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本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。

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