なぜ『都道府県』と名前がついたのか?

COLUMN(コラム)
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おはようございます。モウリです

あなたは何県に住んでおりますか?
と言うか、こんな疑問を持った事がありませんか?
「なぜ都道府県って言うのだろうか?」

現在は、東京都ですが。
なぜ東京県じゃないのか?
なぜ大阪府なのか?「府」って何?

そんな事を思って調べたら面白い歴史があったんですね。

そこで本日は『なぜ都道府県と言うのか?』。
そんな疑問を解消したいなと思います。

実は昔は神奈川府、長崎府って名前だったんですよね。
あなたのお住いの県は何で県何でしょうか?

なぜ『都道府県』と言うのか?

明治元年(1868年)に政府は、かつての幕府の直轄地である重要な地域を「府」、それ以外を「県」と定めました。
これにより、各地に箱館府、東京府、神奈川府、越後府、甲斐府、京都府、大阪府、奈良府、度会府、長崎府が設けられました。
翌年には東京府、京都府、大阪府以外は「県」となり、「府」と「県」の違いは地域の重要性によるものであることが示されました。

明治4年(1871年)には政府が藩主に対して廃藩置県を命じ、これにより藩が廃止され県が設置されました。
初期には3府302県と多数の地域が存在しましたが、その後の整理・合併を経て、明治16年(1883年)には3府44県にまとまりました。
明治19年(1886年)には函館県・札幌県・根室県が廃止され、「北海道庁」が設置されて「3府41県1庁」の体制が確立されました。
その後、大阪府から奈良県、愛媛県から香川県が独立し、「3府43県1庁」にまとまり、現在の都道府県の基本形が成り立ちました。

戦時中の昭和18年(1943年)には東京府とその中の東京市が廃止され、「東京都」が誕生し、戦後の昭和22年(1947年)には北海道庁が「北海道」と改称され、「道」が生まれました。
これにより、「1都1道2府43県」の現在の形が確定しました。

なぜ大阪と京都だけが『府』なのか?


画像出典:名古屋大学

大阪と京都だけが「府」を名乗る理由は、幕末・明治時代に始まる歴史に由来します。
明治政府は、大都市や軍事・政治の拠点を指す「府」と、代官の支配地を指す「県」を区別して使用し、1868年に京都府が設置されたことが最初だった。
当初は他にも「府」が存在し、地方制度や境界線が変化したが、1869年に太政官布告によって京都、東京、大阪の3都市のみが「府」を名乗ることが定められました。
これは、江戸(東京)が行政の中心、大阪が経済の中心、京都が天皇の居所である「三都」を重要視していたためであるとされています。

府県の統合分離は、飛び地を整理統合する狙いがあり、それに伴い「府」の名前が付けられた。
現在、「府」は1890年の府県制に確立され、太平洋戦争後の地方自治法施行で「府」の地位は「都」「道」「県」と同等となったが、名称は引き継がれました。

大阪都構想を提唱する大阪維新の会は、東京と同じ行政の枠組みが実現すれば「大阪都」としたいと述べており、地方自治法には「首都所在地に限る」との規定がないことも指摘されている。
しかし、現行の法律では東京を首都と規定しておらず、慣習的に「首都」とされているだけである。
大阪都構想の余波で、「首都とは何か」についての議論が巻き起こる可能性がありそうですね。

特別区とは何か?

たとえば、大阪府の場合、市の下に位置する区は通常の地方自治体の階層構造であり、市の下に区が存在します。

一方で、東京都では「東京都新宿区」のように、都の下に位置する特別な区分があります。これが「特別区」と呼ばれるもので、東京都の成り立ちに関連しています。

かつて、東京府内には大きな市である東京市が存在していました。
しかし、これが東京都の一部として統合・解消され、かつての東京市の地域は市町村ではなくなり、代わりに直接区が設けられました。
この経緯から、現在の特別区、すなわち23区が形成されました。

特別区は地方自治法により「都の区」と規定されているため、実際には東京都以外でも同様の区分を設置することが可能です。
例えば、「大阪都構想」もこの法律を利用したものと言えます。

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北海道の『道』ってなんなのか?

「道」は北海道の行政区分の基本で、その起源は古代中国に遡り、日本では天武朝(7世紀後半)に制定されました。
この制度では、みやこに近い5つの国(山城、大和、河内、和泉、摂津)を畿内五カ国とし、それ以外を7つの道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)に分けました。
各「道」には複数の「国」が含まれ、たとえば東海道には三河国、遠江国、駿河国などが含まれていました。
また、各「道」ごとにみやこの放射状に官道が整備され、国府が配置されていました。

つまり、五畿七道の「道」は幅広い地域であり、同時に「道」そのものでもありました。
しかし、注目すべきは、この制度において北海道が存在しないという点です。

「北海道」という名称が使われるようになったのは、明治2年(1869年)の太政官布告によります。
この布告では、「蝦夷地自今北海道ト被稱十一ヶ国ニ分割国名郡名等別紙之通被仰出候事」として、蝦夷地が北海道という名称に変わり、11つの国に分割されることが公表されました。

以前は「蝦夷が島」「蝦夷地」と呼ばれていましたが、「蝦夷」は異民族を指す言葉であり、「異民族の住む地」という意味でした。
日本では北の境の概念が希薄であったが、江戸時代後期以降、ロシアの進出に伴いその意識が高まりました。
そこで、「蝦夷地」の名称では不適切と考えられ、新しい名前が必要とされました。
これに関する提案は江戸時代末期から存在していましたが、実現したのは明治時代に入ってからでした。
北海道の名前が採用されることで、北海道が日本の領土であることが内外に宣言されました。

北海道の名前の由来は、幕末の探検家で知られる松浦武四郎によるものです。
明治2年に松浦は、道名に関する提案書を提出し、6つの道名候補を挙げました(日高見・北加伊・海北・海島・東北・千島)。
その中で、「北加伊道」の「加伊」を「海」に変更して「北海道」となったと言われています。
松浦の提案書によれば、「加伊(カイ)」は「夷人」の自称であると説明されています。

古代から東海道、西海道、南海道などが存在していたため、北海道という名称は自然なものとして感じられるでしょう。
興味深いことに、松浦は自らを「北海道人」と呼んでおり、結果的には彼の雅号が道名となったとも言えるでしょう。

北海道が「道」と呼ばれる唯一の行政単位となっている理由は、北海道が他の都府県とは異なり、「道」で構成されているためと考えられます。

「道」は「国」よりも広い地域を指し、明治時代の藩や廃藩置県の影響で多くの「道」が存在しました。
しかし、北海道は明治2年に命名された際に11の「国」が設定されたものの、これらが独立した行政区域とされることはありませんでした。明治2年に設置された「開拓使」は北海「道」全体を管轄対象としました。

興味深いことに、一時期北海道には3つの県が存在しましたが、実効性が不十分であるとの批判から廃止され、再び北海道全体を管轄する「北海道庁」が設置されました。
以来、北海道は一つの行政区域として維持されています。
第二次世界大戦後、北海道は他の都府県と同様に普通地方公共団体となり、名称変更や配置分合、境界変更が可能であるが、そのためには法律で規定される必要があります。

まとめ

本日は以下について解説いたしました。

  • なぜ『都道府県』と言うのか?→廃藩置県がきっかけとなり。「1都1道2府43県」の現在の形が確定しました。
  • なぜ大阪と京都だけが『府』なのか?→はじまりは大政奉還後に明治政府が、奉行が支配した土地や開港した港などを府と称したことがはじまりです。1869年に政治の中心である東京、商都である大阪、御所のある京都を府にしました。
  • 特別区とは何か?→東京府には、東京市という大きな市がありました。しかし、これが東京都の一部として発展的解消、かつて東京市だった地域は市町村ではなくなり、直接区が置かれるようになりました。
  • 北海道の『道』ってなんなのか?→古代に日本の律令制における、広域地方行政区間を五畿七道と呼びます。1869年に北海道が新設されてからは、北海道も加わり五畿八道と呼ばれるように。「道」はその名残となります。

本日は、「都道府県」の疑問についてフォーカスしました。
そもそも名前の由来から考えるともっと奥が深そうですね。
それはちょっと長くなりそうなので、別の機会に♩

あなたの住んでいる地域が、なぜ県なのか?なぜ府なのか?
理解ができるともっと日本が好きになり面白くなりますよ。

そんな自国を好きになるきっかけになれば嬉しいです。

本日も最後までお読み頂き誠に有難うございます。

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