世界遺産なのに実は穴場の奈良県「元興寺(がんごうじ)」

COLUMN(コラム)
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おはようございます。モウリです

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します♪

あなたはもう初詣などにはいかれましたか?
それぞれ毎年必ず行く寺院などあるのでしょうか?

僕は年明け奈良県に居ました。
奈良と言えば、東大寺や春日大社を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
今年の初詣は、「元興寺」へ行きました。
実は、世界遺産で国宝も展示されておりますが。
全く人がおりませんでした(笑)

 

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その後、奈良公園などにも行きましたが。
こちらは観光客で賑わっておりましたね。
世界遺産で歴史も古く魅力的なお寺なのに何で知られてないんだ。
と思い。

今日は、「元興寺(がんごうじ)」についてお伝えできればと思います。
奈良市中心部に位置しており、奈良公園などにも近いので。
東大寺や春日大社などの観光に寄り道してみてはいかがでしょうか?

歴史も古く面白いですよ♪

「元興寺(がんごうじ)」について


画像出典:元興寺

前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺/明日香村)でしたが、平城遷都に伴い現在地に新築移転され、名も元興寺と改められました。
かつては南都七大寺の一つとして威勢を振るい、現在の奈良市街の南東部を占めていました。
広大な境内には、金堂・講堂・五重塔・僧房などが立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一角が唯一現存しています。
極楽堂はかつての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂〔国宝〕と禅室〔国宝〕に改築されました。
屋根には飛鳥・奈良時代の瓦も現存しています。
中世以来庶民の信仰を集め、境内から無数の石仏と民俗資料が発見されています。
法輪館には奈良時代の木造五重小塔〔国宝〕木造阿弥陀如来坐像・中世庶民信仰資料〔各重文〕などが多数安置されています。

基礎情報

住所〒630-8392 奈良市中院町11
アクセスJR奈良駅から徒歩20分、近鉄奈良駅から徒歩15分
問合せ0742-23-1377 (元興寺) FAX:0742-23-1378
バリアフリーなし
リンク元興寺公式ウェブサイトhttps://gangoji-tera.or.jp/
休業日無休
駐車場普通車10台 無料

拝観・入館

料金(個人)大人:500円
大学:500円
高校:300円
中学:300円
小学:100円【秋季特別展中】
大人: 600円
大学: 600円
高校: 300円
中学: 300円
小学: 100円
料金(団体)20人以上は割引あり
高齢者割引奈良市 ななまるカード(老春手帳)持参で無料(除外期間あり)
時間9:00~17:00(入館締切 16:30)、特別展も同じ時間

▼少し古いですが奈良市が作成した動画でも学べます▼

「元興寺(がんごうじ)」の見所について

何と言っても世界遺産や国宝などを見て頂きたい。
元興寺には、幾つもの重要文化財が保存されております。
下記がその例になります。

主な建造物

  • 国宝 元興寺極楽堂(極楽坊本堂)
  • 国宝 元興寺禅室(極楽坊禅室・春日影向堂)
  • 国宝 五重小塔
  • 重要文化財 東門
  • 県指定文化財 小子坊(極楽院旧庫裡)
  • 茶室(泰楽軒)
  • 法輪館(第一収蔵庫・第二収蔵庫)
  • 都市景観形成指定 西室意楽庵(寺務所)
  • 北門

主な仏像

  • 重要文化財 板絵智光曼荼羅(※)、並びに智光曼荼羅舎利厨子
    (※秋季特別展期間中に特別公開します)
  • 県指定文化財 絹本智光曼荼羅
  • 重要文化財 木造阿弥陀如来坐像(禅定院多宝塔本尊)
  • 重要文化財 木造聖徳太子立像(十六才孝養像)
  • 重要文化財 木造弘法大師坐像
  • 県指定文化財 木造南無佛太子像(聖徳太子二才像)
  • 重要有形民俗文化財 元興寺庶民信仰資料 60,000余点
  • 市指定文化財 絹本著色弁才天坐像
  • 薬師如来坐像(西国薬師霊場五番)など

ここではいくつかある中で厳選してお届けいたします。

国宝 元興寺極楽堂(極楽坊本堂・曼荼羅堂)


画像出典:元興寺

入り口入ってすぐに見えるのが、この「極楽堂」です。
まずはここを見ておかなければいけませんね。

建造物の一つである東室南階大房(僧坊)の一部が、鎌倉時代の新和様に改築され、六間四面の聖堂になりました。
この建物は、極楽坊と呼ばれ、内陣と前面向拝を持つ堂々たるもので、奈良時代の智光法師と礼光法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院としても利用されました。
曼荼羅堂とも呼ばれ、智光法師の感得した浄土曼荼羅が祀られています。
南都で浄土教が発祥した聖地として古くから知られています。

国宝 元興寺禅室


画像出典:元興寺

「極楽堂」のすぐ横に位置しているのが、「禅室」。
こちらも古く神秘的な建物です。

元興寺旧伽藍に残る東室南階大房(僧坊)の遺構は、四房(室)分が伝えられています。
建物は切妻造で、本瓦で葺かれた四間四面のシンプルでありながらも堂々とした趣があります。
この場所はかつて官大寺僧坊として僧侶たちが生活し、学修した場所で、平面図や雰囲気がよく保存されています。
建築様式は鎌倉時代の大仏様を反映していますが、構造材は奈良時代以前の古材が多く再利用されています。
中世には春日影向堂とも呼ばれ、近世には客殿や、近代には学校舎にも使われました。
南西1間は影向間・須弥壇・宮殿厨子として、北西1間は中世僧房として使用されていました。

元興寺の瓦


画像出典:元興寺

極楽堂の北流と西流、そして禅室の南流の東側の屋根瓦は、通常の本瓦とはわずかに異なる趣があります。
具体的には、丸瓦と平瓦が組み合わさって葺かれており、これは飛鳥時代(法興寺創建当初)の古式瓦の伝統を引き継いでいます。
このスタイルは法隆寺玉虫厨子の屋根デザインにも影響を与え、京都東寺の講堂屋根、深草宝塔寺の多宝塔下層、貝塚孝恩寺の釘なし堂、大分富貴寺大堂などでも見ることができます。
元興寺の場合、解体修理により使用可能な古瓦(飛鳥時代からのもの)が集められ再利用されていることが確認されています。
さらに、極楽堂の西南隅や禅室の南東隅には古代の軒平瓦が残されており、これも注目すべき要素です。

かえる石


画像出典:元興寺

元興寺境内北側にあるガマガエルのような奇石は、蛙石として知られており、かつては有縁無縁の霊を供養し極楽カエルに成就させる場所とされていました。
この蛙石に向かって誓願をたてると、現在では「無事かえる」「福かえる」などの衆生の願いをかなえてくれると信じられています。
毎年7月7日には、かえる石供養が行われています。

伝説によれば、この蛙石はもともと河内の川縁にあったものを豊臣秀吉が気に入り、大坂城内に移したとされています。
大坂城落城時には、この蛙石の下に豊臣秀吉の正室である淀君の亡骸が埋められたとの説もあります。
大坂城のお堀端乾櫓に移された後、不思議な現象が頻発し、第二次世界大戦後は行方不明となりましたが、昭和33年に元興寺に安置され、現在は国宝極楽堂に佇んでいます。

中国の伝統では、太陽には鳥を、月にはガマガエルとウサギを描くことが一般的でした。
ガマガエルは元々水の精と考えられ、雨を降らす存在と信じられていました。
カエルは傲慢でありながらも愛嬌があり、動静の両面が印象的な生き物とされています。
蛙石と太閤秀吉、淀君、お堀にまつわる伝説との共鳴が感じられるエリアとなっています。

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ならまちの歴史

1998年、元興寺が「古都奈良の文化財」の一環として世界文化遺産に登録されると、その周辺の街並みはバッファーゾーンとして位置づけられ、「ならまち」として新たな奈良の名所となりました。
驚くべきことに、この「ならまち」の大半はかつて元興寺の境内地だったことが、一般にはあまり知られていません。
以下では、古代の元興寺から「ならまち」が形成されるまでの経緯を簡潔に紹介します。


画像出典:元興寺

古代元興寺の伽藍については、おおよそこの図のように推定されています。
残念ながら、古代元興寺の伽藍を知る遺構はほとんどわかっていません。
元興寺全室の建物や、塔跡基壇とそこから見つかった鎮壇具、各所に残る礎石がかつての巨大寺院の片鱗をうかがわせますが、大伽藍は今までは「ならまち」の下に埋もれてしまい、その姿を偲ぶべくもありません。

平安時代、長元8年(1035)の「堂舎損色帳」には金堂や講堂の天井が朽ちて雨漏りし、回廊の瓦は落ち、僧坊の一部などは建物がなくなり大木が映えている有様だったことが書かれています。
元興寺も例にもれず、国の財政援助がなくなり多くの寺院が消滅していきました。
しかし、元興寺が「ならまち」になったわけではありません。
早い時期に建物が失われた食堂以北や南大門以南、西僧坊は町になりましたが、元興寺中枢部は存続し、鎌倉時代には極楽坊が改築され、信仰を集めていました。

大きな転換は宝徳3年(1451)。この年の10月、興福寺に徳政令を求めて蜂起した大和の人々が元興寺周辺に押し寄せ、民家に放火しました(宝徳の土一揆)。
この時、強風が吹き、元興寺金堂、小塔院が全焼してしまいました。
従来の考え方では元興寺がなくなり、「ならまち」が形成されたとされていましたが、南大門で猿楽が行われるなど、元興寺の伽藍はなんとか維持されていたようです。
いったいいつ「ならまち」が成立したのでしょうか。


画像出典:元興寺

江戸時代初期、奈良の歴史を研究した村井古道が記した「奈良坊目拙解」によれば、中新屋町や西新屋町など「新屋」と呼ばれる町の大半が、永禄から天正年間(1573〜92)ごろに元興寺伽藍内に形成されたとされています。
元興寺伽藍内での町の発展は戦国時代末期に近づいた頃のことと見られ、発掘調査もその事実を裏付けています。
元興寺旧境内は重要な遺跡として保護され、毎年数多くの調査が実施されています。
発掘調査の結果、1550年代以前の遺構が極端に少ない一方、1550年代以降には井戸や柱穴などの人の生活痕跡が増加しています。
元興寺の建物礎石が片付けられ、礎石が穴に埋められた痕跡が発見されており、これが町屋街化を決定づける要因となりました。
これらの行為は元興寺の古い権威が奪われ、江戸時代の都市開発が進む契機となったもので、戦国時代後半から江戸時代初めにかけて元興寺中枢部が町に変わっていく経緯がうかがえます。
奈良の歴史をたどると、「ならまち」が実は新しい街であったという事実が明らかになります。

「元興寺(がんごうじ)」周辺情報

エリアマップを見て頂くとわかりやすいのですが、「元興寺」は住宅街の中に位置しております。
周りはほぼ家しかないです。

ご飯屋さんとかもあまりないですが。
古民家を改装したカフェや雑貨屋などはチラホラ見受けます。
先ほども紹介したように、周辺は「ならまち」となっておりますので。
外観は古く昔ながらの建物が多いです。

例えば「ならまち 招福庵」

画像出典:yahoo

このような形で古民家を改装して作ったようなカフェや雑貨屋がチラホラ見られます。

ならまち 招福庵についてはコチラ

結構細い路地や隠れ家的にお店が見つかるので歩いて探すのも面白いと思います。
一般的には、近鉄奈良駅の商店街「 ひがしむき商店街 」が有名です。


画像出典:プレイライフ

だいたいの物はこの商店街を通ればあります。
飲食店も面倒ならこの商店街に行くと割とすぐに見つかりますよ。

以外ですが、奈良公園付近はあんまりないです。
いわゆる鹿が多くいる場所ですね。
東大寺や春日大社などが位置する場所です。

その付近でご飯屋を探してもあまり見つかりませんし。
ちょっと小休憩がてらのカフェも少ないので、観光客で待ち時間を有します。
少し離れた方が、充実して居ますので。
ご飯は済ませてから、奈良公園に行くと良いと思いますよ♪

また奈良公園近くには、「興福寺」と言うこれまた有名な寺院がございます。
コチラは過去にも行ってレビューしております。
「元興寺」から歩いて行ける距離ですので、ぜひ行って見てください♪

まとめ

本日は以下について解説いたしました。

  • 「元興寺(がんごうじ)」について→日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が 平城遷都にともなって、 蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、 新築移転されたのが、元興寺 (佛法元興の場、聖教最初の地)です。
  • 「元興寺(がんごうじ)」の見所について→世界遺産や国宝が数多く見られます。あと説明しませんでしたが、境内には複数鬼の像がございます。探して見てね。
  • ならまちの歴史→元興寺周辺の街並みはそのバッファーゾーンとして位置づけられ、「ならまち」として新たな奈良の名所となりました
  • 「元興寺(がんごうじ)」周辺情報→「ならまち」の古民家で小休憩や買い物をするのも良いと思います

本日は、「元興寺(がんごうじ)」について解説いたしました。
どうでしたか?少し行きたくなりましたでしょうか?

「南部七大寺」の1つで、格式高い寺院の1つですよ♪
ちなみに過去に他のにも奈良のスポットを紹介しております。
お時間ございます方は、他にも巡って見てください♪

 

 

 

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