クリスマスはいつから日本で広まったのか?

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おはようございます。モウリです

この記事が公開されている12月25日は、クリスマスの日ですね。
あなたは、「クリスマス」と聞いてどのような印象をお持ちでしょうか?

待ち中のイルミネーション?
サンタクロース?クリスマスケーキ?
人それぞれイメーシはあると思いますが。

よくよく考えてみたら、クリスマスはキリスト教の文化。
日本人の多くは仏教なのに、なぜ?クリスマスをお祝いするのでしょうか?
てかいつからクリスマスがこんな壮大なイベントとなったのでしょうか?

今日はそんな日本におけるクリスマスの歴史ついて深掘りしていこうと思います。
意外な事実も多くて楽しいですよ♪

日本で最初のクリスマスパーティーは室町時代

まず日本に初めてキリスト教が普及したのが、1549年(天文18年)。
教科書でもおなじみの「スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエル」です。


画像出典:ウィキペディア

1549年、ザビエルは鹿児島に到着し、2年間にわたって九州、中国、近畿エリアでキリスト教の布教活動に従事しました。
この時期に、クリスマスも日本に伝わった可能性があるとされています。

日本で初めて行われたクリスマス会は、約460年前の1552年12月10日に周防国山口(現在の山口県山口市)で開催されました。
この特別な日に、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスらが信徒を招いて行った降誕祭のミサを行いました。
信者たちは前夜から集まり、夜通しでミサや説教を受け、その後は共に食事を囲みました。
このクリスマス会はお祭り騒ぎではなく、厳かな雰囲気で行われ、貧しい人たちへの施しも行われたと伝えられています。
当時、「クリスマス」は「ナタラ」と呼ばれていたそうです。

フロイスの「日本史」には、「八里ないし十里の遠方から来ることをいとわず、・・・徒歩でやって来たのである」とあります。
東方の博士たちが、はるばる星に導かれてベトレヘムに幼子イエスに出会うためにやってきた故事に倣うためだったかもしれません。

※ナタラとはポルトガル語で「クリスマス」と言う意味

ちなみに現在、山口県には『山口サビエル記念聖堂』と言う教会ございます。
資料館もございますので、当時のことについて知れるかも知れると思います。


画像出典:ウィキペディア

『山口サビエル記念聖堂』についてはコチラ

ちなみに余談ですが。
戦国時代において、武将・松永弾正久秀がクリスマスを理由に「クリスマス休戦」を実施したというエピソードが知られています。
この話の真実性は不確かであり、しかし、松永弾正のような武将が時代背景を考えれば、「戦場のメリークリスマス」の実現も不思議ではないと、ファンたちの期待が寄せられています。
一方で、宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、合戦中の松永家と三好家のキリシタン武士たちが敵味方を超えてクリスマスを祝ったとされ、局所的には本当に「クリスマス休戦」が行われていた可能性もあるとされています。
今後の新資料発見が期待されます。

▼松永弾正久秀▼


画像出典:毎日新聞

禁止令時代のクリスマスはどうしていたのか?

織田信長は天下統一を目指し、キリスト教を認めていましたが、信長の死後、豊臣秀吉が天下人となると一転して、伴天連(バテレン)追放令を発令し、キリスト教の排除を始めました。
しかし、豊臣政権時代にもキリシタンは増加し、各地でクリスマスの催しも行われていたようです。

江戸時代のキリスト教禁教政策により「鎖国」が敷かれ、出島が唯一西欧との交流を許された場所となりました。オランダ人キリシタンたちは幕府の制約を避けつつ、中国人たちの行っていた「唐人冬至」に着目し、「阿蘭陀冬至」としてクリスマスを祝う奇策をとりました。
このイベントは海上パレードから商館でのクリスマスパーティまで盛大に行われ、通訳や役人、蘭学者、日本人も賑やかに参加しました。

また、日本人がクリスマスを祝うことは明治時代まで200年以上もなかったとされます。
しかし、隠れキリシタンたちは禁教令下で慎ましく祈りを捧げていた可能性があります。

※ちなみに現在の出島では、当時のクリスマスの模様が再現されております。


画像出典:長崎旅ネット

ちなみに過去の記事で、出島についても書いております。
長崎観光の参考にしてみて下さい♪

クリスマス再開は明治時代から

幕末には黒船来航により西洋との交流が始まり、横浜や神戸など5つの港が開かれました。
踏み絵も3年後に廃止され、キリスト教信仰は明治時代初期まで禁じられたが、外国人は居留地内で宗教活動が認められ、開港地ではクリスマス行事が行われるようになりました。

初代アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスも幕末に日本でクリスマス会を開き、1856年には伊豆の玉泉寺で静かに祝宴を行っております。

近代の日本においては、クリスマスといえば光り輝くクリスマスツリーが欠かせませんが、この慣習が始まったのは幕末の1860年(万延元年)のことです。
プロイセンの外交官オレインブルクが用意させたのが、日本初のクリスマスツリーでした。
ツリーに使う樅(もみ)の木が不足していたため、似たような木を探すのも一苦労でした。
オーナメントには、オレンジや梨などのフルーツ、砂糖菓子、キャンドルが吊り下げられたそうです。
初めてのクリスマスツリーがどのようなものだったのか、興味深いものとなっています。


画像出典:en通信

1898年(明治31年)に発行された『さんたくろう』は、教会に通う子どもたちを対象にした物語で、この挿絵に描かれたのは三太九郎と呼ばれるサンタクロースのようなおじいさんです。
これは国産初のサンタクロースの絵として知られています。おじいさんはトナカイではなくロバを連れ、プレゼントはカゴに入っており、なぜかモミの木を小脇に抱えています。

物語のあらすじでは、井口五郎おじいさんが行き倒れていたところをクリスチャンの家族に助けられ、その恩返しとしてクリスマスの夜に「三太九郎」と名乗り、家の子どもたちにプレゼントを贈るというエピソードが描かれています。
こうして、サンタクロースはただのおじいさんではなく、心温まる物語の主人公として描かれています。


画像出典:en通信

『子供之友』の1914年(大正3年)の号に掲載された挿絵に描かれたサンタさんがいます。
このサンタさんは大きな白い袋からプレゼントを取り出し、靴下に詰めようとしている様子ですが、奥の部屋にいる女の子にじーっと見られています。


画像出典:en通信

1922年(大正11年)の子ども雑誌『コドモノクニ』には、クリスマスツリーの絵が描かれています。
当時にはすでにクリスマスが一般的になり、街道がイルミネーションで飾られたり、クリスマスケーキが販売されたりしていました。


画像出典:ウィキペディア

余談ですが。
明治時代において、俳人である正岡子規がクリスマス文化を最初に生活に取り入れたとされています。
子規の最初のクリスマスに関連する俳句は、1892年(明治25年)の「臘八のあとにかしましくりすます」であり、厳粛な臘八の行事の後にやかましいクリスマスが訪れることを表現しています。
また、その4年後に詠まれた「八人の子どもむつましクリスマス」では、クリスマスをほほえましい行事としてとらえ、カタカナの季語として「クリスマス」が初めて使われました。

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どのようにクリスマス商戦につながったのか?

明治時代に入り、クリスマスは居留地での重要な年末のイベントとして新聞にも報じられ、当日は領事館や銀行などが休業し、信者たちは教会で朝から集まり、バザーが行われたとされています。
一方、現代の11月に入るとクリスマス商戦が激しくなりますが、その歴史は明治時代にまで遡ります。
明治屋は約120年前の明治33年に、日本企業として初めて華やかなクリスマス飾りとともにクリスマスセールを始め、これが日本のクリスマス商戦の先駆けとされています。

▼東京支店店内のクリスマス・デコレーション(大正11年:1922年)▼

画像出典:ハフポスト

▼東京支店クリスマス飾り(昭和5年:1930年)▼

画像出典:ハフポスト

1926(大正15)年の12月25日に大正天皇が崩御し、後に12月25日が大正天皇祭(休日)と定められたことが、クリスマスの習慣がさらに普及する機会となりました。
現在の日本はクリスマスを国家祝祭日としない少数派に属する国の一つですが、1927(昭和2)年から1947(昭和22)年までの21年間は、クリスマスは休日でした。

1950(昭和25)年頃、ベビーブームといわれる世代により、子どもの数が爆発的に増加。

日本におけるクリスマスケーキの起源はなんと明治時代。
不二家が1910年(明治43年)に初めてクリスマスケーキを販売し、さらに砂糖でできたサンタやイチゴなどでのデコレーションも不二家が先駆けたといいます。
このような動きから、日本でも次第にクリスマスの行事が浸透し、大正時代には朝日新聞が「クリスマスプレゼントは年々盛んになる」と報じるなど、現代に続く嚆矢となりました。
昭和初期には「年中行事」としてクリスマスも確立し、これが現代に至るまで続いています。


画像出典:OCEAN

まとめ

本日は以下について解説いたしました。

  • 日本で最初のクリスマスパーティーは室町時代→1552年12月10日に周防国山口(現在の山口県山口市)で開催されました。この特別な日に、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスらが信徒を招いて行った降誕祭のミサを行いました。
  • 禁止令時代のクリスマスはどうしていたのか?→出島では「阿蘭陀冬至」と言うイベントとして行われていた。
  • クリスマス再開は明治時代から→黒船来航により西洋との交流が始まり、そこからキリスト教も受け入れられるようになった

駆け足で説明してきましたが、ついてこれましたか?
日本国民に1%しかいないクリスチャンですが、クリスマスがこんなにも定着しているのは納得しますね。

あなたのクリスマのご予定は何ですか?
僕は独り身なので、おそらくお仕事とかしているでしょうね(泣)。

クリスマスの歴史をしれば、今していることが何故起こったのが理解ができます。
イルミネーションについてはまだ触れておりませんでしたね。
それはまたの機会に♪

本日も最後までお読みいただき誠に有難うございます。

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